玖珠郡(読み)くすぐん

日本歴史地名大系 「玖珠郡」の解説

玖珠郡
くすぐん

面積:五五七・八五平方キロ(境界未定)
九重ここのえ町・玖珠くす

大分県の西部に位置し、北部に玖珠町、南部に九重町がある。南から東にかけては直入なおいり久住くじゆう町、大分郡庄内しようない町・湯布院ゆふいん町、東から北にかけては宇佐郡安心院あじむ町・院内いんない町、下毛郡耶馬渓やばけい町・山国やまくに町、北から西にかけては日田市、日田郡天瀬あまがせ町、西から南にかけては熊本県阿蘇郡小国おぐに町・南小国町と接する。郡南部には星生ほつしよう(一七六二メートル)などの九重くじゆう連山があるほか、小国町境の涌蓋わいた(一四九九・五メートル)、九重町東部の崩平くえんひら(一二八八・四メートル)など、中央部より北西部には九重町と玖珠町境の万年はね(一一四〇・二メートル)、同じく東部の平家へいけ(一〇二三メートル)、玖珠町東端部のカルト山(一〇三三・五メートル)福万ふくま(一二三五・九メートル)などの高山がそびえる。これらの山嶺の谷間を流れる大小の河川は郡南端部を水源とする玖珠川に合流し、筑後川の上流域を形成するが、水田に有利な平地は九重町の北西端部と玖珠町南部の同川流域にとどまる。この川とその支流野上のがみ川にほぼ沿ってJR久大本線、国道二一〇号、これに直交するかたちで国道三八七号が通る。さらに大分自動車道の開通により玖珠インターチェンジ、九重インターチェンジが開設された。両町の一部は国指定名勝の耶馬渓に含まれ、玖珠川を挟んで玖珠町北部と万年山山麓一帯の町田まちだ川左岸および玖珠川左岸の一帯は耶馬日田英彦山やばひたひこさん国定公園となっている。旧郡域は現在の郡域とほぼ同様であったと考えられ、東部は速見郡・大分郡・直入郡、西部は日田郡、北部は豊前国宇佐郡・下毛郡、南部は肥後国阿蘇郡と接していた。郡名は古代には球珠とする例が多く(「豊後国風土記」「延喜式」など)、久ともみえる(大宰府史跡出土木簡)。中世にも球珠とする場合が少なくないが(「拾芥抄」など)、玖珠と混用され、のち玖珠とする例が増え、近世には慶長六年(一六〇一)の森藩領知目録(佐伯藩政史料)や慶長豊後国絵図をはじめ正保郷帳以下の諸郷帳などでも玖珠を用いる。

〔原始〕

当郡地方では杉塚すぎつか遺跡(玖珠町)宝満山ほうまんやま遺跡(同上)などで後期旧石器時代のナイフ形石器などが採集されている。縄文時代の遺跡も各地に分布し、二日市洞穴ふつかいちどうけつ遺跡・奥野おくの遺跡・栃木原とちのきばる遺跡(九重町)、杉塚遺跡・亀甲かめのこう遺跡(玖珠町)などである。うち二日市洞穴遺跡では間口六メートル・奥行二〇メートルほどの洞穴に縄文草創期から後期に至る文化層が整然と堆積していることが確認され、縄文草創期から早期に至る条痕文土器・無文土器は注目される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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