大分郡(読み)おおいたぐん

日本歴史地名大系 「大分郡」の解説

大分郡
おおいたぐん

面積:四〇九・七二平方キロ(境界未定)
湯布院ゆふいん町・庄内しようない町・挟間はさま町・野津原のつはる

現在の大分郡は四町からなるが、近世の郡域は現大分市の大部分を含み、現湯布院町(旧速見郡域)、現野津原町の一部(旧大野郡域)、現庄内町の一部(旧直入郡域)を除く地域で、北は別府湾、東は海部郡、西は速見郡と直入なおいり郡、南は大野郡に接していた。平城宮跡出土木簡に「豊後国大分郡調綿壱伯屯」とみえる。

〔原始〕

当郡域は西部に大分川、東部に大野川が流れ、それぞれのつくる沖積平野と背後の台地や丘陵に多くの遺跡が展開している。旧石器時代の遺跡でまず特記すべきは大分市の丹生にゆう遺跡である。大野川下流東岸丹生台地に展開するこの遺跡では、かつて前期旧石器時代の石器の出土が報告されたが、層位の確認、石器の年代判定に疑問が残されている。しかし後期旧石器時代の遺物はナイフ形石器・三稜尖頭器が出土している。このほか大分川流域挟間町の下黒野しもくろの遺跡・赤野原あかのはる遺跡、大分市のしようはる遺跡ではナイフ形石器等が出土している。縄文時代の遺跡も広く分布している。庄ノ原遺跡では早期の押型文土器が出土している。大分川支流七瀬ななせ川沿いの台地にある野津原町の黒山くろやま遺跡は早期―前期の遺跡である。この地域の縄文時代の遺跡で注目されるのは大分市横尾よこお貝塚・小池原こいけばる貝塚の二つの貝塚である。大野川下流左岸にある横尾貝塚では昭和四〇年(一九六五)および五五―五六年に発掘調査が行われ、貝層からハマグリ、ヤマトシジミ等の貝殻とともに早期押型文土器、前期轟B式、中期船元式の各期の文化層が確認されている。周辺の包含層では阿高系土器、中津式土器が出土、また一七体の人骨も発掘されている。小池原貝塚の磨消縄文土器は縄文後期前半―中頃の標式土器となっている。下黒野遺跡で早期の遺構も発掘されているが、大分川流域を代表する晩期の遺跡として重要である。また大分川最上流に近い湯布院町の山下やましたいけ遺跡では湖畔と湖底から前期と後期の土器が出土している。

弥生時代の遺跡は、大分川流域、大分川と大野川の間の台地等に広く展開している。まず大分川流域では、前期から後期にわたる拠点的集落遺跡として大分市の雄城台おぎのだい遺跡・守岡もりおか遺跡・あまじよう遺跡・城南じようなん遺跡等が注目される。とくに雄城台遺跡では多数の竪穴住居跡、環濠遺構が検出され、中国製銅鏡片のほか巴形銅器が出土している。大分川の支流賀来かく川右岸にある同市の賀来中学校かくちゆうがつこう遺跡は後期の環濠集落である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報