志摩(読み)シマ

デジタル大辞泉 「志摩」の意味・読み・例文・類語

しま【志摩】

旧国名の一。東海道に属し、現在の三重県東部、志摩半島鳥羽市志摩市にあたる。志州。
三重県、志摩半島南東部の市。伊勢海老あわびなどの漁業や真珠養殖が盛ん。平成16年(2004)浜島はまじま町、大王だいおう町、志摩町阿児あご町、磯部いそべ町が合併して成立。人口5.5万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「志摩」の意味・読み・例文・類語

しま【志摩】

[一] 東海道十五か国の一つ。大化改新のとき一国となる。中世には神領として伊勢神宮の勢力が強く、南北朝時代以後北畠氏、のち九鬼氏が支配。江戸時代には鳥羽藩が成立。明治四年(一八七一)の廃藩置県以後、鳥羽県、度会県(わたらいけん)を経て同九年三重県の一部となる。志州。
[二] 三重県中東部の地名。志摩半島の南半部を占める。リアス式海岸が発達し、真珠の養殖が行なわれる。平成一六年(二〇〇四)市制。
[三] 福岡県の西部にあった郡。明治二九年(一八九六)怡土(いと)郡と合併して糸島郡となる。

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改訂新版 世界大百科事典 「志摩」の意味・わかりやすい解説

志摩[市] (しま)

三重県南東部の市。2004年10月阿児(あご),磯部(いそべ),志摩,大王(だいおう),浜島(はまじま)の5町が合体して成立した。人口5万4694(2010)。

志摩市中部の旧町。旧志摩郡所属。人口2万2995(2000)。東は太平洋,南西はリアス海岸英虞(あご)湾に面する。隆起海食台地上にあり,低平な台地と谷底平野からなる。東岸の国府(こう)は古代に志摩国府・国分寺が置かれ,志摩地方の中心として栄えた。現在の中心集落は鵜方で近鉄志摩線と先志摩バス路線の接続点である。多徳島は明治期に御木本幸吉が初めて真珠の養殖に成功した所として知られる。町の全域が伊勢志摩国立公園に含まれる景勝地で,賢島(かしこじま)は近鉄志摩線の終点で英虞湾観光の基地となっている。安乗崎(あのりざき)にある安乗神社に奉納される安乗人形芝居は重要無形文化財。なお国府には独特の隠居制が今に残る。

志摩市北部の旧町。旧志摩郡所属。人口9429(2000)。志摩半島の中央に位置し,東は太平洋に面して的矢湾と伊雑ノ浦が深く湾入する。紀伊山地の東端に当たる山地が広く占め,数本の河川の河口に小規模なデルタが形成される。東部海岸には縄文~弥生時代の貝塚が多く,奈良時代の製塩跡や和同開珎も発見された。伊雑ノ浦奥にある中心集落の磯部には伊勢神宮の別宮伊雑宮があり,磯部七郷を形成した。的矢と渡鹿野(わたかの)は近世には江戸廻船の寄港地として栄えた。基幹産業は農業と水産業で,農業はミカンの産が多く,水産業は沿岸漁業とノリ,カキ,真珠の養殖が行われる。町の全域が伊勢志摩国立公園に含まれ,天の岩屋や鸚鵡石(おうむいし)などがある。近鉄志摩線が通じ,鳥羽市と奥志摩を結ぶパールロード(2003年無料開放)もある。1994年にはテーマパーク志摩スペイン村が開業した。

志摩市南端の旧町,旧志摩郡所属。人口1万4727(2000)。志摩半島南端の先志摩半島を占める。隆起海食台地上にあり,英虞湾に面した北部の海岸は入り組んだリアス式海岸を呈し,熊野灘に面した南部の海岸は海食崖を形成している。西の金比羅山(99m)を最高点に全体的に低平であるが,耕地に乏しい。基幹産業は真珠養殖を中心とする水産業で,沿岸漁業,海女漁業の根拠地。全域が伊勢志摩国立公園に含まれ,海水浴場,キャンプ場も多い。南の沖合にある大島はハマユウなど暖帯性植物が茂り,旧暦6月1日には奇祭潮かけ祭が行われる。中心地の和具にある和具観音堂の銅造如来座像は重要文化財。越賀(こしか)には江戸時代の郷倉が残る。国道260号線が通る。

志摩市南東端の旧町。旧志摩郡所属。人口8465(2000)。先志摩半島の基部に位置し,西は英虞湾,東は太平洋に面する。町域の大部分が隆起海食台地で水田に乏しく,台地面は畑地あるいは林地である。波切(なきり)・船越地区に人口が集中する。基幹産業は水産業と農業で,波切,深谷の両漁港を中心に沿岸漁業が行われ,船越地区の英虞湾側では真珠養殖が盛ん。農業は米作が中心で,野菜の栽培も行われる。全域が伊勢志摩国立公園に含まれ,壮大な海食崖の大王崎は多くの観光客を集める。

志摩市西部の旧町。旧志摩郡所属。人口6012(2000)。志摩半島南部にあり,南は旧志摩町西端の御座岬と相対して英虞湾の湾口を扼する。南東に突出する大崎半島に囲まれた内湾はリアス海岸を形成。英虞湾を見下ろす浜島の目戸(めど)山には円墳が分布し,目戸山古墳群と呼ばれる。中世の伊勢神宮領迫御厨は迫子(はざこ)に,奈波利御厨は南張(なんばり)におのおの比定されている。浜島港は江戸時代から漁港,避難港としてにぎわい,現在は遠洋漁業基地で,県立水産試験場(現,三重県水産研究所)もある。真珠養殖,水産加工業が盛んで,海女によるアワビやサザエの採取も行われる。農業は米作のほか南張のメロン栽培が知られる。迫子の曹洞宗呑湖(どんこ)院には,1459年(長禄3)北畠氏に滅ぼされた五ヶ所城(南勢町)の城主愛洲(あいす)重明(義明)の墓と伝える五輪塔がある。浜島の宇気比(うきひ)神社の正月行事である盤の魚と弓引神事は著名。大崎半島先端にはミュージック・キャンプ場を中心とした大レジャーセンター〈合歓の郷(ねむのさと)〉がある。町域は伊勢志摩国立公園に含まれる。
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志摩(三重) (しま)

志摩(福岡) (しま)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志摩」の意味・わかりやすい解説

志摩
しま

福岡県北西部,糸島市北部の旧町域。糸島半島西部とその西方にある姫島からなる。1955年可也村,桜野村,小富士村,芥屋村の 4村が合体して志摩村が発足。1965年町制。2010年前原市,二丈町と合体して糸島市となった。主産業は農業で,米作のほかミカン,ブドウ,イチゴ,スイカ,野菜の栽培が中心。沿岸漁業,タイの養殖も行なわれる。海食玄武洞の芥屋ノ大門(国指定天然記念物)をはじめ国指定重要文化財の阿弥陀如来像を寺宝とする西林寺,野北牧場,姫島の野村望東尼配流地,「小富士(筑紫富士)」の異名をもつ可也山(365m)など遺跡や名所が多く,可也山と海岸の大部分は玄海国定公園に属する。

志摩
しま

三重県志摩半島南端,先志摩半島を占める地区。旧町名。 1954年和具町と片田,布施田,越賀,御座の4村が合体して発足。 2004年 10月,浜島町,大王町,阿児町,磯部町と合併し,志摩市となる。地名は古代以来の国名による。南は勇壮な熊野灘に臨み,北部に静かな英虞 (あご) 湾の一部を含む。その景観は対照的で,御座の金比羅山 (99m) からの眺望はすばらしい。耕地は少なく,養殖漁業 (ハマチ,真珠) と海女漁業 (アワビ,サザエ,イセエビ) が行なわれる。中心地区の和具の南沖合いにある大島と北西の御座の海岸にはハマユウの群落地がある。全域が伊勢志摩国立公園に属し,キャンプ場などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「志摩」の解説

志摩

石川県金沢市にある施設。1820年に建てられた茶屋。国指定重要文化財。

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世界大百科事典(旧版)内の志摩の言及

【三重[県]】より

…愛知県,岐阜県,滋賀県,京都府,奈良県,和歌山県に隣接する。
[沿革]
 県域はかつての伊勢国,志摩国,伊賀国の全域と紀伊国の一部にあたる。江戸時代末期には藤堂氏32万石の津藩のほか,亀山藩,桑名藩,長島藩,神戸(かんべ)藩,菰野(こもの)藩,久居藩,鳥羽藩が置かれており,紀伊国から伊勢の南部を中心に紀州藩領が広がっていた。…

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