前原(読み)まえばる

精選版 日本国語大辞典 「前原」の意味・読み・例文・類語

まえばる まへばる【前原】

福岡県西部の地名福岡市の西に隣接する住宅都市。福岡市営地下鉄に乗り入れるJR筑肥線が通じる。平成四年(一九九二市制

まえはら まへはら【前原】

(「まえばら」とも) 姓氏一つ

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デジタル大辞泉 「前原」の意味・読み・例文・類語

まえばる〔まへばる〕【前原】

福岡県北西部にあった市。近世宿場町市場町として発展。平成22年(2010)に二丈町志摩町と合併して糸島市になった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「前原」の意味・わかりやすい解説

前原
まえばる

福岡県北西部、福岡市の西にあった旧市名(前原市)。1901年(明治34)前原村が町制施行。1931年(昭和6)加布里(かふり)、波多江(はたえ)の2村、1955年雷山(らいざん)、長糸(ながいと)、怡土(いと)の3村を合併。1992年(平成4)市制施行。2010年志摩(しま)町、二丈(にじょう)町と合併して糸島市となる。南部は佐賀県境をなす脊振(せふり)山地北斜面とそれに続く洪積台地分布、瑞梅寺(ずいばいじ)・雷山・長野川などが北流して中通低地(なかどおりていち)(糸島平野)とよばれる沖積低地を形成。JR筑肥(ちくひ)線、国道202号、497号、西九州自動車道(福岡前原道路)が東西に通じる。中心集落の前原は江戸時代唐津(からつ)街道の要地で筑前二十一宿(ちくぜんにじゅういちしゅく)の宿場町、市場町として発展したが、現在はJR筑肥線が福岡市営地下鉄へ乗り入れて人口が増加し、都市化が著しい。主産業は農業で、米や野菜、ミカンイチゴなどが生産され、また畜産も盛ん。西方の加布里海岸ではノリ養殖が行われている。見どころとして国指定史跡の雷山神籠石(らいざんこうごいし)、志登支石墓群(しとしせきぼぐん)、怡土城跡釜塚古墳(かまづかこふん)、曽根遺跡群(そねいせきぐん)や、木造千手観音(せんじゅかんのん)立像、木造清賀上人坐像(しょうにんざぞう)(ともに国指定重要文化財)を蔵する大悲王院(だいひおういん)、白糸(しらいと)滝、高祖(たかす)神社、伊都国(いとこく)歴史博物館、伊都郷土美術館など多く、展望の開ける南部山地は脊振雷山県立自然公園、海岸部は玄海(げんかい)国定公園に含まれる。

[石黒正紀]

『『前原町誌』(1941・前原町)』『『前原町誌』(1991・前原町)』


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日本歴史地名大系 「前原」の解説

前原
まえばる

馬渡まわたり川の南、標高五三〇メートル余の台地上にある。大永三年(一五二三)九月五日志賀親守は小田原次郎九郎に「直入郷葎原之内前原」などを預けた(「志賀親守居屋敷預ケ状案」志賀文書)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前原」の意味・わかりやすい解説

前原
まえばる

福岡県北西部,糸島市南東部の旧市域。脊振山地北斜面から糸島半島基部の低地を占める。1955年前原町,雷山村,長糸村が合体,同年怡土村(いとむら)を編入。1992年市制。2010年二丈町,志摩町の 2町と合体して糸島市となった。中心集落の前原は,古くは福岡と唐津を結ぶ街道の宿場町,市場町として発展。周辺では,米作や野菜,イチゴ,ミカンの栽培が行なわれる。福岡市に接し,同市への通勤者が多い。国指定史跡の怡土城跡,雷山神籠石,釜塚古墳,曽根遺跡群,志登支石墓群がある。一部は脊振雷山県立自然公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「前原」の意味・わかりやすい解説

前原 (まえばる)

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