日本大百科全書(ニッポニカ) 「玄海国定公園」の意味・わかりやすい解説
玄海国定公園
げんかいこくていこうえん
九州北部玄界灘(げんかいなだ)の海岸美を中心とした国定公園。1956年(昭和31)指定。1968年に西端の松浦(まつうら)地区を追加指定。面積101.52平方キロメートル。東は北九州市若松区の脇田(わいた)海岸から、西は伊万里(いまり)市の東松浦半島西岸および長崎県鷹(たか)島までの東西約100キロメートル、福岡、佐賀、長崎の3県にわたる。玄界灘の荒波に洗われた多数の島々、岩礁や沿岸の海食崖(かいしょくがい)、海食洞と、女性的な白砂青松の弧状砂浜からなり、屈曲に富む海岸線が最大の観光資源となっている。東から三里(さんり)松原、花見松原、海ノ中道(うみのなかみち)、生(いき)之松原、幣(にぎ)ノ松原、虹(にじ)ノ松原と連なる白砂青松の砂丘は海水浴場として多数の観光客を集め、糸島(いとしま)半島北西の芥屋ノ大門(けやのおおと)、呼子(よぶこ)の七ツ釜(がま)は玄武岩の柱状節理と海食洞で有名である。佐賀県鎮西(ちんぜい)町(現、唐津市)の波戸岬(はどのみさき)を中心に1970年に玄海海中公園が指定され(2010年に玄海海域公園と改称)、魚類、サンゴ類のみられる水中展望塔がある。海岸美の展望地として沿岸に、松浦佐用姫(まつらさよひめ)の伝説で知られる鏡(かがみ)山(領巾振(ひれふり)山)、可也(かや)山、高祖(たかす)山、立花(たちばな)山などがある。大陸に近いために古くからの海外交渉の歴史を示す旧跡も多く、金印出土の志賀島(しかのしま)をはじめ、怡土(いと)城跡、元寇(げんこう)防塁跡、名護屋(なごや)城跡、付近には宗像(むなかた)大社、宮地嶽(みやじだけ)神社、香椎宮(かしいぐう)などもある。志賀島には国民休暇村、海ノ中道には海浜公園があり、北部九州のレクリエーション地となっている。
[石黒正紀]