川明王院(読み)かつらがわみようおういん

日本歴史地名大系 「川明王院」の解説

川明王院
かつらがわみようおういん

[現在地名]大津市葛川坊村町

比良山系の西側を流れる安曇あど上流の渓谷に開かれた天台宗の寺院。別に息障明王そくしようみようおう院ともよばれ、宗教法人名は明王院。背後に比良山系を負い、安曇川に注ぐ幾筋もの谷川がつくる深山幽谷の地形から、天台修験の道場・別院として古くから山岳信仰の拠点となっている。本尊は木造千手観音立像を中央に、左右に木造不動明王立像・木造毘沙門天立像を配した三尊一具の形式をもち、三尊形式の本尊一具像としては早い時期のもの。いずれも平安時代末の作で国指定重要文化財。葛川明王院史料とよばれる平安時代後期から江戸時代までの古文書・記録が約四千三〇〇点(国指定重要文化財)伝えられ、鎌倉時代の絵図とともに寺の歴史のみならず、中世史研究の貴重な史料となっている。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔相応の開創〕

比叡山無動寺むどうじ谷で修行していた円仁の弟子相応が貞観元年(八五九)修行の地を求め、比良山中に分け入って開いた天台修験道の道場に始まる。「帝王編年記」巻一四や「天台南山無動寺建立和尚伝」などによると、貞観元年相応二九歳のとき大願を発して「比羅山西阿都河之滝」に籠って祈請したところ、葛川三の滝で生身の不動を拝し、無動寺に不動明王を祀ったという。現無動寺明王堂の前身にあたるが、のち葛川明王院も延暦寺回峰行の創始者と仰がれる相応が開いた行場として広く知られていた(新猿楽記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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