日本大百科全書(ニッポニカ) 「古文書」の意味・わかりやすい解説
古文書
こもんじょ
歴史資料の一つ。
[千々和到]
古文書の定義と範囲
現在の通説である黒板勝美(くろいたかつみ)・伊木寿一(いぎひさいち)らの定義によれば、第一人者(差出者)が第二人者(受取者)に対してなんらかの意志を伝達するために作成した書類をいう。この場合、日記などの古記録や、経典、書物などの典籍は含まないとされる。もちろん、一般的・便宜的な用法としては、古文献を包括する概念として、古文書という語をより広く用いることもそれほどまれなことではないが、現在の古文書学ではこうした用法はとらない。もっとも、最近では佐藤進一(しんいち)のように、目録・帳簿や訴訟記録などの、照合・点検を目的とする文献の多くは、かならずしも文書と切り離さずに理解しようという考え方もある。一方、古文書の素材は、そのほとんどが紙に書かれているとはいえ、それはけっして必須(ひっす)条件ではなく、前述の条件さえ備えていれば、木に書かれていようと、石に刻まれていようとなんら問題とはならず、すべて古文書と考えるべきである。たとえば、前者の例としては、近年平城宮址(へいじょうきゅうし)、藤原宮址などから大量に出土している古代の木簡(もっかん)のうちのかなりの部分が、後世の送文(おくりぶみ)と同趣旨のものであることをあげることができるし、後者の例としては、上野国(こうずけのくに)多胡碑(たごひ)(和銅(わどう)4年官符写)のようなものをあげることができよう。さらに、中世には寄進状や制札などの文書が直接木札に記されて掲示されることがあったのは、よく知られた事実である。
[千々和到]
文書と古文書
ところで、なお効力をもっているものを文書とよび、すでに実際上の効力を失ったものを古文書とよぶ、という説がある。しかし古文書ということばがもともと歴史資料としての文書に対してつけられた名称であることを考えれば、こうした区別は意味をもたない。歴史研究のうえで、あるものを古文書とよんでも文書とよんでも、それほど意味の違いがあるわけではない。ただし、中世においてなにを古文書と称していたかということは、はっきりしておくべきであろう。笠松宏至(かさまつひろし)によれば、中世において古文書とよばれたのは、罪科人の発給にかかる文書や朽損しあるいは正当な由緒なく所持している文書であって、相論(そうろん)などに際して特定の権利を証明しえない、すなわちすでに価値の失われた文書のことをさすという。とりわけ鎌倉幕府の裁判のなかで、「平家以往」つまり、平氏政権やそれ以前の文書は「古文書」であるので証文に足らずとされたということは注目に値するといえよう。
[千々和到]
古文書の分類
文書作成の動機は、自分の意志を他者に伝えることであるが、その意志の伝達の内容には、単なる意志の疎通だけではなく、上の者が下の者になんらかの命令を行う場合、または権利を認定する場合と、下の者が上の者になにかを要請する場合も当然含まれる。そしてそれぞれの動機に応じて、またその時代、時代によって、あるいは書き手と受け手の地位の高下によって、その文書の書きようは異なるものである。そこで、その異なる書きようを分析することによって、文書の内容だけからではわからないこと(たとえば時代判別とか、書き手と受け手の地位や相互の関係など)を類推しようとするのが、文書様式の分類の目的である。
文書の様式分類法は研究者によって多少異なるが、佐藤進一の方法に従えば次のようになる。佐藤は、様式の歴史的変遷を踏まえた(1)公式様(くしきよう)、(2)公家様(くげよう)、(3)武家様(ぶけよう)の3種に、(4)証文、(5)神仏に奉る文書、(6)書状、の3種を加えて、6種に分類することを主張している。これらについて以下に若干の説明を加える。
(1)公式様文書 『養老令(ようろうりょう)』公式令のなかで規定された様式の公文書。公式令には上から下への文書として詔書(しょうしょ)・令旨(りょうじ)・符(ふ)、互通文書として移(い)、下から上申する文書として奏(そう)・牒(ちょう)(のちに令外官(りょうげのかん)などの発給文書として使われるようになる)・辞(じ)・解(げ)などが定められている。
(2)公家様文書 平安時代、律令制(りつりょうせい)が崩れ摂政(せっしょう)・関白や院が政治の中心になるにしたがって登場してきた新しい様式の文書。宣旨(せんじ)、符にかわる下文(くだしぶみ)、国符(こくふ)にかわる庁宣(ちょうせん)などや、右筆(ゆうひつ)が形式上の差出者となる書状様式から発達した奉書(ほうしょ)系の文書(事実上の差出者が天皇の場合は綸旨(りんじ)、上皇なら院宣(いんぜん)、皇族なら令旨、三位(さんみ)以上の公卿(くぎょう)なら御教書(みぎょうしょ)とよぶ)がおもなものである。
(3)武家様文書 鎌倉幕府の成立以降に発生、発展したもので、下文、下知状(げちじょう)、直状(じきじょう)(書下(かきくだし)、判物(はんもつ)など)、奉書(御教書、奉行人(ぶぎょうにん)奉書)、印判状(いんぱんじょう)などの下達文書と、申状(もうしじょう)、注進状(ちゅうしんじょう)、請文(うけぶみ)、軍忠状(ぐんちゅうじょう)などの上申文書とがある。
(4)証文 譲状(ゆずりじょう)、売券(ばいけん)、契状(けいじょう)、和与状(わよじょう)などが含まれる。
(5)神仏に奉る文書 神仏に祈願する告文(こうもん)・願文(がんもん)や、都状(とじょう)、さらに神前で誓いをたてる際の起請文(きしょうもん)、資財を奉納する際の寄進状などが含まれよう。
(6)書状 私人の間に取り交わされる文書で、古代に状(じょう)・啓(けい)とよばれ、中世には消息(しょうそく)・書札(しょさつ)などとよばれる。書状は私的な文書であるといっても、けっして自由な書き方ができるものではない。むしろ差出者・受取者相互の地位・身分によって文書の書きようを変えることが強く求められ、これに反したときは礼を失したものとみなされるため、各種の「往来(おうらい)」や「書札礼(しょさつれい)」といった書状の例文集、様式解説書がつくられ、利用された。
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文書の作成
文書の作成にあたっては、まず土代(どだい)とよばれる草案がつくられ、これに手が加えられたうえで清書され、正文(しょうもん)が完成するのが一般的経過である。しかし、文書の種類によって、だれが書くのか、どんな紙を選ぶのか、といった文書作成過程の細かな部分は異なってくる。たとえば書き手であるが、差出者の地位が高ければ、私的な書状でさえも差出者自身は筆をとらず、右筆とよばれる専門の書記に書かせる場合があるし、公的な文書であれば、事実上の文書発給者自身が書くことはほとんどありえない。下文などでは、右筆の作成した文書にただ花押(かおう)を据えるだけであるし、奉書・御教書などでは、奉者が上級の者の意を受けて作成し、形式的差出者として奉者が「何某奉(なにぼううけたまわる)」と署名するのが一般である。
また、料紙(りょうし)をみると、時代・地域によって使われる紙の種類が異なるばかりでなく、差出者の地位・立場などによっては、異なった質の料紙が選ばれることもある。一例をあげれば、天皇の綸旨は一般に独特の漉(す)き返しの薄墨色をしたもの(宿紙(しゅくし))が多いが、それは蔵人(くろうど)が奉者を務める場合だけで、蔵人以外の弁官が奉者を務めるときは、普通の白紙が用いられるのである。
ところで、文書の差出者と受取者とは、文面上のそれと、実質的なそれとが違っている場合がある。差出者が実質と形式とで異なる例は前述したが、受取者が異なるのは、たとえば次のような場合である。すなわち、荘民(しょうみん)に対して新しく補任(ぶにん)された地頭(じとう)・下司(げし)の指示に従えと領主や幕府が命ずる文書はよくあるが、こうした文書の場合、通例、「下ス某庄百姓等(ぼうしょうひゃくしょうら)」などと、形式的な受取人は荘民たちになっている場合が多い。しかし、こうした文書は、現実には権利を付与された地頭・下司自身が受取者で、その文書自体、地頭・下司に手渡され、彼の手元に残されるものなのである。
[千々和到]
古文書の伝存と伝来
文書は、その機能、効力によって異なった保存、伝存の仕方がなされる。文書に作成され伝達された直後に、まず残すか残さないかの最初の選別が行われる。たとえば、土地、家屋などの正当な所有者であることを示す売券、公験(くげん)、寄進状などは、所有者がかわるごとに土地とともに手から手へ移動し、引き継がれていくものであり、文書は次々と貼(は)り継がれていく(これを手継(てつぎ)という)。こうした文書は、いったん所有をめぐって相論が起きたときには、証拠としてただちに利用できるように、持ち主の手で厳重に保管、整理されているものである。もし万一事故で失われれば、紛失状が作成され、これにかわるものとされなければならなかった。一方、この反対に、ある種の宗教的文書では、正文を残さないものもある。一味神水(いちみしんすい)のときに書かれる起請文や、天皇が祖廟(そびょう)・山陵に報告する告文などがそれで、これらは神前で読み上げられたのち、焼かれて灰にされるから、本来正文は残されないことになる。これは、その文書がのちに汚されることをはばかったのと、文書を焼くことが書き手の意志を神に伝達する手段と考えられたからである。
文書が保存されるかどうかは、次の時代にも選別される。すなわち、古文書はある期間を過ぎ、その本来の効力を失っても、別の価値を生じることがある。骨董(こっとう)価値とか、家系の古さ、由緒正しさを主張するのに役にたつ場合などがそれで、こうした価値ゆえにいまに残っている古文書も少なくない。
一方、価値をみいだされなかったために、かえって偶然残された文書もある。たとえば反故(ほご)にして捨てられ、写経や日記の料紙に用いられたため残った紙背文書(しはいもんじょ)がそれである。奈良時代の文書が正倉院(しょうそういん)に大量に残されているのも、実は官衙(かんが)の文書が東大寺に写経用の料紙として献納されたためである。また1984年(昭和59)、京都大徳寺塔頭(たっちゅう)徳禅寺で発見された大量の中世文書は、たまたまそれがふすまの下張りに利用されたために残されたものである。こうした文書のなかには、残るべくして残った文書とは異なる、過去の人々の実生活をうかがうに足る好史料がしばしば含まれているものなのである。
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古文書の利用と保存
現代における古文書の価値は、その骨董的価値、鑑賞上の価値と、歴史資料としての価値とに2大別されよう。前者の典型的な例としては、茶室に掛けられる一幅の茶掛けをあげることができようし、後者としては、近代以降とりわけ戦後盛んになった古文書集の出版による歴史学の発展をあげることができよう。戦前からの『大日本史料』『大日本古文書』はもとより、戦後の竹内理三(たけうちりぞう)編『平安遺文』『鎌倉遺文』や、地方自治体の編集している県史・市史などの史料集の刊行は、日ごろたやすく古文書原本に触れることのできない広範な歴史研究者に古文書の利用の道を開いたし、多くの新知見を提供してきている。また、古文書原本についても、その散逸を防ぐために、各地の博物館・文書館が地域にかかわる中世・近世文書の収集を進めており、以前よりはるかにたやすく利用することができるようになってきている。
しかし一方では、こうして出版が進み、骨董的価値もある中世文書はまだしも、ほとんど翻刻される機会のない近世以降の文書、とりわけしだいに「古文書」化しつつある膨大な量の近代以降の行政文書については、その保管と公開は思うように進んでいない。寿命の長い和紙に書かれた中世文書より、寿命の短い酸性のパルプ紙に書かれた近代の文書のほうが、より消滅の危険性が高い、という声もあり、保存策の確立は急務となっている。
[千々和到]
『相田二郎著『日本の古文書』上下(1949、54・岩波書店)』▽『佐藤進一著『古文書学入門』(1971・法政大学出版局)』▽『日本歴史学会編『概説古文書学 古代・中世編』(1983・吉川弘文館)』