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詩人。奈良市生れ。本名勝。堺中学卒業。1920年,赴任先の父に招かれ満州大連市へ渡る。翌年右膝関節炎のため脚を切断。その後詩作に入り,24年大連で北川冬彦らと詩誌《亜》を創刊し短詩・散文詩を発表,文字形象によるイメージの審美的世界を開示した。28年創刊の詩誌《詩と詩論》に参加,翌年《軍艦茉莉(まり)》,33年《亜細亜の鹹湖(かんこ)》《渇ける神》などの詩集を刊行。その地理的好尚に富んだ知的マゾヒズムに彩られた詩風は,新精神詩運動の中核として異彩を放った。34年父死去のため帰国,以後堺市に定住,堺市役所に勤務。ほかに詩集《大学の留守》《韃靼(だつたん)海峡と蝶》《座せる闘牛士》など。
執筆者:明珍 昇
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詩人。奈良市に生まれる。堺(さかい)中学卒業。のち、父に従い満州(中国東北)の大連(だいれん)に渡る。疾患による右足切断の不幸にあったが、詩作を始め、北川冬彦、滝口武士(たけし)らと『亜(あ)』を創刊(1924.11)した。『詩と詩論』にも参加し、昭和のモダニズム詩の有力な推進者の一人となった。第一詩集『軍艦茉莉(まり)』(1929)以下、『座せる闘牛士』(1949)まで6冊の詩集がある。初期の短詩運動時代の『春』と題する作は有名で、「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた。」というわずか一行で、広い空間のなかにゆったりとした「春」という季節をみごとにとらえきっている。
[角田敏郎]
『『安西冬衛全詩集』(1966・思潮社)』
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