日本大百科全書(ニッポニカ) 「奴変」の意味・わかりやすい解説
奴変
ぬへん
中国の華中・華南各地で、17世紀中葉、明(みん)・清(しん)交替期に起こった奴婢(ぬひ)・奴僕(ぬぼく)とよばれていた人々の反乱。明代、官僚、商人、地主などの家の私的な使用人の大部分は、雇傭(こよう)された良民として「雇工人(ここうじん)」「雇傭人」の身分にあったが、法律の運用や民間の慣例では、良民とは区別された奴婢としての扱いを受けていた。彼らは主人によって身契(しんけい)という身売り証文を握られており、主家に対して隷属的な地位にあるだけでなく、地域社会の一般住民からも賤視(せんし)されていた。主家の番頭格にあたる「紀綱(きこう)の僕(ぼく)」を除き、彼らの大部分は主人の厳しい管理・指揮の下に、農・工・商業や徭役(ようえき)の代行など各種の実労働に従事していた。明代後半期にはすでに個別的な逃亡や抵抗が始まっていたが、1644年の明朝倒壊を機に、多くの場合全県的な規模で彼らによる主家の人々の殺害、監禁、殴打、凌辱(りょうじょく)や放火が集中的に行われ、これらの暴行の過程で身契が奪回された。地域社会の支配層としての郷紳(きょうしん)といわれる官僚の家では多人数の奴婢が使用されていたため、その被害はとりわけ大きく、社会秩序は動揺した。清朝は華中・華南を版図に入れる過程で各地の奴変を武力弾圧し、奴婢をふたたび主家の隷属下に戻した。しかしながら、この激しい反乱の影響により、清代には、法律の運用においても奴婢扱いの範囲をできるだけ限定する努力がなされ、身分的性質をもつ規制はより緩やかなものになっていった。
[森 正夫]
『谷川道雄・森正夫編『中国民衆叛乱史4』(平凡社・東洋文庫)』