壺屋焼(読み)ツボヤヤキ

デジタル大辞泉 「壺屋焼」の意味・読み・例文・類語

つぼや‐やき【×壺屋焼】

沖縄県那覇市壺屋から産する陶器。17世紀末、琉球王朝が3か所の窯場を集結させたのに始まる。かめ食器酒器などの日用雑器が多く、独自のうわぐすりも開発されている。

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精選版 日本国語大辞典 「壺屋焼」の意味・読み・例文・類語

つぼや‐やき【壺屋焼】

〘名〙 沖縄県那覇市壺屋から産する陶器。一七世紀末、琉球王朝が三か所の窯場を集結させたのに始まる。甕(かめ)・食器・酒器などの日用雑器が多く、独自の釉(うわぐすり)も開発されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「壺屋焼」の意味・わかりやすい解説

壺屋焼
つぼややき

沖縄県を代表する焼物。那覇(なは)市壺屋町にある窯は1682年の開窯とされる。尚(しょう)氏を王にいただき沖縄を治めていた琉球(りゅうきゅう)王朝は、この年に国内の工芸振興策の一環として、各地に分散していた窯を那覇に統合し、東側に上焼(じょうやち)とよばれる施釉(せゆう)陶窯、西側に荒焼(あらやち)とよばれる焼締め陶窯、牧志(まきし)の近くには瓦(かわら)窯を分置させ、それらを総合して壺屋と称した。この壺屋窯は、民窯を母胎にしながら官窯的性格を帯びていたと考えられる。陶技は、東南アジア系の焼締め技法と、中国伝来の鉄絵陶の施釉絵付法、さらに日本の技術を受けたと思われる上絵付法などを機軸として、銅やコバルトを加えた光沢ある独特の緑釉や藍(あい)釉などを開発しており、その作域は広い。17世紀以降の沖縄の優れた焼物はおよそこの窯の製品で、王府の御用品から一般庶民の雑器まで、幅広い製品を手がけた。1871年(明治4)の廃藩置県以後は民窯としての方向に進み、その伝統を守りながら現在に至っている。

[矢部良明]

『立原正秋・林屋晴三監修『探訪日本の陶芸1 壺屋他』(1980・小学館)』

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事典 日本の地域ブランド・名産品 「壺屋焼」の解説

壺屋焼[陶磁]
つぼややき

九州・沖縄地方、沖縄県の地域ブランド。
沖縄県の壺屋地域に由来する製法により沖縄本島内で生産された陶器製の食器・花瓶・香炉及び置物。琉球王朝が海外交易を盛んにしていた14世紀〜16世紀頃、中国や南方諸国の陶磁器が豊富に持ち込まれ、南蛮焼の技術が伝えられたという。その後、1609(慶長14)年に薩摩の治政下におかれた琉球王朝の尚貞王は、産業振興の目的で薩摩から朝鮮人の陶工を招き朝鮮式陶法の習得に力を入れ始めた。1682(天和2)年、美里の知花窯・首里の宝口窯・那覇の湧田窯が統合され、壺屋焼が始まった。沖縄県伝統工芸製品。1976(昭和51)年6月、通商産業大臣(現・経済産業大臣)によって国の伝統的工芸品に指定。2008(平成20)年6月、特許庁の地域団体商標に登録された。商標登録番号は第5141350号。地域団体商標の権利者は、壺屋陶器事業協同組合。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報

デジタル大辞泉プラス 「壺屋焼」の解説

壺屋焼

沖縄県那覇市の壺屋地区を中心に生産される焼き物。国の伝統的工芸品に指定されている。

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