坂東 簑助(5代目)(読み)バンドウ ミノスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「坂東 簑助(5代目)」の解説

坂東 簑助(5代目)
バンドウ ミノスケ


職業
歌舞伎俳優

本名
佐藤 鉄三郎

旧名・旧姓

別名
前名=坂東 利喜松,俳名=喜好

屋号
大和屋

生年月日
万延1年 12月14日

出生地
三河国池鯉鮒(愛知県)

経歴
巴屋こと林寅吉の長男に生まれ、4歳で母・松代が離縁となり母方の姓・佐藤を名乗る。明治6年東京の坂東喜知六の門人(のち養子)となり坂東利喜松を名乗り、同年初舞台を踏む。7年東京守田座「連歌花二見文台」に小田三法師丸役を務める。その後、18歳で旅芝居に出て甲府路より京阪に入り、一時東京に戻るが再び上方に行き、18年京都新京極の道場芝居と祇園館の舞台開きに勤め、12代目守田勘弥の門人となる。23年大阪浪花座「幡随院長兵衛」に5代目坂東簑助を襲名。大阪で人気俳優となったが、30年師・勘弥の没後、名古屋から東京に出て、31年真砂座「実録平井権八」に4役をつとめる。のち地方巡業を続け、小芝居で活躍した。41年東京に戻り2代目坂東八十助(のち7代目坂東三津五郎)の門人となる。同年国華座「嵯峨の夜桜」に猫姿と筆屋幸兵衛の2役、42年大阪の朝日座に勤め、同年京都明治座「宇都谷峠」に文弥役で大好評を得る。43年三河の苅屋で大生座「安達原出演初日に倒れ死去時代物世話物に適し、実事敵役女形を兼ね、大阪では一時名があったが、大芝居から離れたため大成することなく終わった。

没年月日
明治43年 9月10日 (1910年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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