大阪(読み)オオサカ

デジタル大辞泉 「大阪」の意味・読み・例文・類語

おおさか【大阪/大坂】[地名]

近畿地方中央部の府。もとの摂津の東部と和泉いずみ河内かわちの全域にあたる。京都とともに2府の一。人口886.3万(2010)。
大阪府中部の市。府庁所在地。指定都市。古代の難波なにわの地で、仁徳にんとく天皇高津宮孝徳天皇長柄豊碕宮ながらのとよさきのみやが造営された地。明応5年(1496)蓮如れんにょ石山本願寺を建立したころは小坂おさかと称し、その跡地に天正11年(1583)豊臣秀吉大坂城を築く。江戸時代は大坂おおさか・おおざかと称し、幕府の直轄地として諸大名の蔵屋敷が集中、諸国の米や特産物の取引の中心地となり、天下の台所といわれた。明治4年(1871)大阪と表記されることになった。西日本の経済の中心地。また、阪神工業地帯の中心。人口266.6万(2010)。
古代、大和から河内へ越える坂。古代交通の要路。穴虫あなむし峠。
「御杖をもちて―の道中の大石を打ち給へば」〈・中〉
[補説]大阪市の24区
旭区阿倍野区生野区北区此花区城東区住之江区住吉区大正区中央区鶴見区天王寺区浪速区西区西成区西淀川区東住吉区東成区東淀川区平野区福島区港区都島区淀川区
書名別項。→大阪

おおさか【大阪】[書名]

水上滝太郎の小説。大正12年(1923)刊。
小野十三郎の第3詩集。昭和14年(1939)刊。大阪の工業地帯に取材し、物質性を重視した作品。

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改訂新版 世界大百科事典 「大阪」の意味・わかりやすい解説

大阪[市] (おおさか)

大阪府中央部にある府庁所在地。近畿地方のほぼ中央を占める大阪平野にあって,淀川河口の大阪湾岸に位置する。大阪の〈阪〉の字は,江戸時代まで坂を使うのが一般的であったが,明治以後阪に統一された。日本では東京に次ぐ経済力をもつ大都市で,西日本の地域経済活動の中枢をなし,大都市圏は大阪府下をはるかにこえて広がり,京都,神戸の都市圏と複合している。1956年9月政令指定都市となり,2010年現在は北,都島,福島,此花(このはな),中央,西,港,大正,天王寺,浪速(なにわ),西淀川,淀川,東淀川,東成(ひがしなり),生野,旭,城東,鶴見,阿倍野,住之江,住吉,東住吉,平野,西成の24の行政区からなる。市域の面積は222km2,人口266万5314(2010)。地形は,淀川大和(やまと)川がつくった沖積低地上町台地によって構成される。上町台地は大坂城付近から南へ向かって細長く半島状につづく台地で,淀川に臨む台地北部は,古代の難波(なにわ)京四天王寺,中世後期の石山本願寺,近世の大坂城が立地して,大阪の長い都市史における中核をなしてきた。台地の北側と西側には,天満から船場島之内を経て難波(なんば),粉浜(こはま)にかけて,砂州と呼ばれる微高地が帯状に伸びている。低地は淀川と大和川によって形成された沖積平野で,上町台地によって淀川・河内低地と大阪海岸低地に分けられる。東側の淀川・河内低地は,中央に縄文時代の入海のなごりをとどめる広い湖沼が18世紀初頭まであり,これに淀川の一部と旧大和川が流入していたため,きわめて低湿な土地である。また西側の大阪海岸低地は,淀川のいくつかの分流によって最も新しくつくられた土地である。ここには三角州前面に潮止め堤防を築いて干拓した新田が近世に数多く造成され,また明治後期から今日までに港湾施設と工業用地のため造成された埋立盛土地が広がっている。

 1583年(天正11)の豊臣(羽柴)秀吉による大坂城築城と城下町経営は,現代都市の直接の前身をなす都市建設であった。上町台地北部と微高地の砂州地形を巧みに利用し,北組,南組,天満組からなる大坂三郷の市街地が,数多くの堀川の掘削と河川改修を進めて整備された。〈出船千艘,入船千艘〉と評された大坂は,淀川琵琶湖水運と瀬戸内水運の結節点をなして,全国の流通経済の中心となった。諸藩蔵屋敷の集中と蔵米,国産物の集散,全国市場の中心となった堂島米市場や天満(てんま)青物市場,雑喉場(ざこば)魚市場,各種の問屋仲買業などの経済活動とともに,文芸や学問の面でも町人文化の隆盛をまねいた。明治維新は大阪経済に大きな打撃を与えたが,造幣局,砲兵工厰,堺紡績所の官営工場設置が契機となり,紡績業をはじめとする繊維工業,次いで金属,機械,化学の大規模工場による生産活動が盛んとなり,工業都市として急成長をみせて日本経済をリードした。また明治初めから大正初めにかけては私鉄,国鉄の放射状交通網が発達し,人口と市街地の急速な膨張をまねいた。第1次世界大戦後は繊維・雑貨中心の軽工業から重化学工業へと産業構造を大きく変化させ,また1960年代以降は,都心地区の高層化と地下街,数多くの堀川の埋立て,東海道新幹線(のち山陽新幹線に接続)の開業,地下鉄,高速道路の延伸と新設,大阪南港の造成,オーサカビジネスパーク建設,ウォーターフロント再開発など,急激な都市景観の変貌が進んだ。

 地方自治体としての大阪市は,1889年に誕生して東,西,南,北の4区で構成され,人口47万人であった。市域は97年,1925年,55年と3回にわたって拡張されて現在に至り,行政区も13区,15区,22区,26区と増加したが,89年には合区があり24区となった。しかし面積は全国の百万都市ないし政令指定都市の中では川崎市などとともに狭小である。人口は1940年の325万人が最大で,第2次大戦直後の110万人から65年の315万人へと回復したが,その後は職住分離が進んで市外への転出者が多くなり,漸減傾向を示している。都市の内部構造は,梅田曾根崎付近の北と,難波,心斎橋筋道頓堀付近の南の二つの繁華街を結ぶメーンストリート御堂筋を南北軸としてほぼ楕円状に広がり,中央,西,北,浪速の4区にまたがる。淀川下流,堂島川土佐堀川の間の中州である中之島付近には市役所,裁判所などの官公庁や金融機関,ホテルが,またその南に続く北浜の証券街,道修(どしよう)町の薬品,本町(ほんまち)と丼池(どぶいけ)筋の繊維などの卸売問屋街が集中するビジネス地区となっている。その周辺の大阪環状線の内側一帯は商業・工業・住宅ないし住宅・工業の混合地区で,さらにその外側は,大阪港を中心とする臨海地,西淀川・淀川・東淀川各区の神崎川沿岸,東部の城東・東成各区などが,阪神工業地帯の中核をなす工業地区である。南東部の住吉・東住吉・平野各区は,住宅・マンションが多い住宅地区である。

 大阪は近畿圏と西日本の中心都市であり,京阪神大都市圏の中核都市である。しかし東京における中枢管理機能の顕著な集中傾向は,全国規模での大阪の比重を相対的に低下させ,大阪経済の地盤沈下が目立つようになった。高度経済成長期の産業と人口の急激な集積によって,職住の極端な分離と住環境の悪化,公害と交通難の激化,公園,緑地,レクリエーション・文化施設の不足など,過密過大型の都市問題が他都市よりもとくに深刻になっている。
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近世日本最大の商工業都市。古代には難波宮がおかれるなど歴史は古いが,地名の初見は1496年(明応5),真宗の蓮如が〈摂州東成郡生玉之庄内大坂トイフ在所〉に坊舎を営んだと記したものである。1532年(天文1)真宗の本山である本願寺が山城山科からこの地に移り,石山本願寺と唱えた。大坂の都市的前史はこの寺内町にあった。80年織田信長のために本願寺は石山を退城したが,83年羽柴秀吉は賤ヶ岳合戦ののち,天下統一の拠点として大坂城と城下町の建設にのりだす。当時の大坂は東横堀川以東の上町台地辺をさし,船場,天満とは別であった。上町台地は大坂城総構のうちに含まれ,城と武家屋敷が多く,三の丸工事で町屋1万7000戸が移転されたことからみれば,町屋も含まれていた。船場は町屋であるが,天満は天満宮門前町,さらに本願寺の移転でその寺内町(1585-91)を核として発達した町であった。天下人の城下として諸侯の屋敷が並び,参勤の武士人口も多かった。また城下町繁栄のため地子免許の恩典を与えられ,近畿各地から商工業者が移住させられた。秀吉の死後も大坂は一定の経済的地位をもったが,1615年(元和1)豊臣氏滅亡により転機がおとずれる。

 徳川幕府は松平忠明を城主として復興に当たらせるが,19年彼を郡山に移し,幕府直轄地として再建にのりだす。大坂城は西日本諸大名に命じ,20年から38年(寛永15)まで大工事をおこなった。都市大坂については松平忠明の時代から計画がすすめられており,まず大坂城を中心に幕府の軍事・行政機構をおいた。さらに上町台地の南方に寺町をおき,天満では淀川沿いの東部地域に川崎東照宮,九昌院,町奉行所与力屋敷,北限には寺町と与力・同心屋敷を東西に長く連ねて外郭防衛線とした。船場,天満は町屋地域であるが,さらに旧三の丸の空地に伏見町人を移住させた。被差別民を渡辺村や四ヵ所非人として市外隣接地に集め,渡辺村にはなお数度の移転を強制するなど,さまざまな差別をおこなった。当時は大坂,天満と併称される例もあるが,やがて大坂三郷として南,北,天満が定着した。南,北は本町筋で分かち,南限は道頓堀,北限は大川,それに天満郷が加わった。この三郷が3組として市政の単位となったが,一時期伏見組がおかれ4組であった。幕府は大坂城に城代・定番の武士をおき,東・西町奉行に市政をみさせた。また有力町人を惣年寄として三郷に配し,各町の年寄とともに市政を担わせた。町人の負担では,地子は豊臣時代の古町5000石,のち松平忠明による増高とあわせ1万1183石3斗9升8合余となり,地子はその80%を1石銀20匁替として銀178貫934匁3分7厘4朱と定めた。しかし1634年3代将軍家光によって免除された。だが公役として御用人足賃銀などや町役として道路,橋梁の建設・修復など多額の負担をおこなった。

 大坂の発展はいくつかの時期で画することができる。豊臣政権期,秀頼城下町期,元和・寛永期と前期の中でも区分できるが,この時期は城下町であり,徳川直轄地になっても大坂城再建に投下した費用は巨額で,領主経済によって支えられた面が大きい。また都市建設による土木・建築の盛況もみられた。しかし大坂城建設が終わり,寛永末年の大飢饉となって前期の繁栄は終わり,職人や日用などの中には職を求めて江戸などへ移住する者がいた。人口は1634年40万4929人,65年(寛文5)26万8760人と激減している。17世紀後半からは再び発展をはじめ,99年(元禄12)36万4154人となり,以後増勢は緩やかではあるが18世紀半ばまで続き,1765年(明和2)41万9863人と近世で最大となった。この発展は大坂が〈天下の台所〉となったことを示している。領主経済を支える蔵物の取扱いや財政金融をおこなうとともに,当時発展しつつあった農民経済の発展をふまえて全国経済の中心になったのである。1714年(正徳4)大坂の移出入品をみると,移入品119種・銀28万6561貫411匁,移出品95種・銀9万5799貫585匁であり,そのほかに武家荷物として蔵米112万3070石,雑穀7万2895石という巨額の物資が動いている。畿内,西日本を中心に全国各地より物資が入荷し,江戸をはじめ全国に出荷された。これはただ物資が集散する流通拠点というにとどまらず,原料が入り加工品が出ているところから,大坂が産業都市として加工業の中心であったことをも示している。事実,大坂では生活必需品の各種産業があり,油は江戸,京などの需要を賄い,木綿などの織物業,建具・家具類,金属加工では銅・鉄製品などがあり,とくに長崎貿易の輸出銅の精錬は独占的におこなわれた。この商工業を背景に,金融業も盛んとなった。大名は中之島,北浜などに蔵屋敷をおいて年貢米,特産品を売りさばいたが,このため大名財政に関係した蔵元掛屋の豪商が輩出した。当時,日本一の豪商とうたわれた淀屋,鴻池,銅山・精錬業の泉屋などが知られた。

 元禄期の発展によって,大坂市中は拡大した。貞享年間(1684-88)河村瑞賢が淀川筋を改修し安治川の開削をおこなったが,それをきっかけに元禄・宝永期に堂島,安治川や堀江,曾根崎の各新地ができた。ついで享保以降にも高津,難波の両新地ができた。大坂の町数は1651年(慶安4)213,1700年548となっている。また従来,大坂では新町遊廓が公許された遊所となっていたが,新地は繁栄策として茶屋・風呂屋株が認められて茶立女,髪結女をおいたから,新色里として発展をする。芝居は道頓堀にあったが,《難波丸》には歌舞伎,浄瑠璃,舞,説経,からくりの小屋が18名代あげられており,いろは茶屋芝居茶屋)が繁昌した。のちには新地にも芝居が認められている。多くの名優,作者が輩出したが,義太夫節を開いた竹本義太夫,《曾根崎心中》などの作者近松門左衛門が著名である。ところで元禄末期以降には大坂の繁栄に影がみえる。元禄・宝永期における貨幣改悪,正徳・享保期(1711-36)に良質貨幣鋳造により通貨が混乱し,経済政策の転換も町人を不安にした。“心中”が流行したのもその一端である。また1705年(宝永2)淀屋が欠所となった。商業仲間の組織がすすみ,町人内部では家法をつくるなど家内部を固めようと考えるようになった。24年大坂町人5名を中心に懐徳堂が設立されたのは,こうした不安定な状況のもとで儒学による生活道徳を町人に教化しようとしたものであった。学主に三宅石庵,中井竹山らの学者があり,関係者に富永仲基,山片蟠桃らがでた。

 17世紀後半から木綿,油などの仲間,江戸積二十四組問屋,また十人両替などの商業組織が成立していたが,幕府は享保改革のなかで仲間を公認し,米価調節のために堂島米相場を認めた。田沼時代にはさらに各種の仲間を奨励した。そのため大坂の商工業仲間が一般に設立され,それによる独占権が弊害を及ぼすほどになった。また幕府は新規に米,木綿などの会所設立を許可したため,既存の流通関係に混乱をもたらした。なかでも家質奥印差配所は,町人金融の担保として普及していた家質の証文に奥印をおし,一定金額を徴収しようというもので,中小町人の反発をうけて打毀が起こった。また木綿,油,干鰯(ほしか)についての仲間独占の強化は,近郊農民との鋭い対立をもたらし,1823年(文政6)摂津・河内1007ヵ村による木綿直売願,24年摂河泉3ヵ国1460ヵ村,65年(慶応1)摂河1263ヵ村油関係の国訴などがたびたびみられた。さらに都市貧民の増大により市中に打毀が起こった。天明大飢饉には大規模な打毀があったし,1837年(天保8)元与力で陽明学者大塩平八郎の蜂起は全国に衝撃を与えた。このころから大坂の市況は停滞しはじめた。天保期には大坂への物資回着が減額しているが,それは藩専売や生産地などの荷主・商人の買占めのためで,物価騰貴を引き起こした。江戸との取引も減少し,貸越しが増えている。幕府は旧来の市場統制策は不可能とみて,株仲間解散にふみきるが効果はなく,51年(嘉永4)には株仲間が再興されたが,かつての独占的地位はなくなった。なお中期以降の幕府の買米(かわせまい),御用金は巨額に上り,大坂商人の資金力に打撃を与えたものとみられる。また天保改革の中で,芝居を5座に限り,茶屋・風呂屋の転業と飯盛女付旅籠屋として3ヵ所に遊所を集めた。都市への人口流入を抑制し,帰農奨励をおこなったのも特色であった。こうしたことによって不況は強くなった。安政年間(1854-60)ロシア軍艦来港などの騒然たる世相の中で幕府は大坂繁栄策を実施し,芝居小屋の新設や13ヵ所に茶屋545軒を認めるなどしたが,人口は衰退を続けた。ただ時代の波は大坂にも洋学の種をまいた。中期にも橋本宗吉,間長涯らの町人学者がでたが,1838年緒方洪庵の開いた適塾は全国から集まった英才を育て,日本近代に大きな影響を与えた。

 幕末の政争は京都を中心に起こったが,大坂城には将軍家茂が入城するなどした。1866年第2次長州征伐のため物価が騰貴し,大坂周辺で大打毀が起こり,その直後に家茂が死んだ。67年“ええじゃないか”を踊り狂うなかで,幕府は倒壊した。近代への転換は大名財政に密着した豪商にとっては困難で,多くの豪家が潰れたが,泉屋が住友財閥として展開し,鴻池などは金融資本として生きのびた。全般に大坂は商工業都市として再生し,大陸貿易などにも活路を求めて,西日本の中心となって発展した。
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ASCII.jpデジタル用語辞典 「大阪」の解説

大阪

Mac OS日本語版のシステムフォント兼アプリケーションフォント。漢字Talk 7.1からは、TrueType形式のフォントになっている。

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世界大百科事典(旧版)内の大阪の言及

【大阪[府]】より

…面積=1892.06km2(全国46位)人口(1995)=879万7268人(全国2位)人口密度(1995)=4650人/km2(全国2位)市町村(1997.4)=33市10町1村府庁所在地=大阪市(人口=260万2421人)郷土の花=アシ 府木=イチョウ 府鳥=モズ近畿地方の中央に位置し,大阪湾に面する。南北に長く伸びる府域は,他府県に比べ狭小な面積であるが,人口と人口密度は,いずれも東京都に次いで全国第2位。…

【公害】より

…公害の語源は明らかではないが,日本の法制上登場するのは,明治10年代の大阪府の大気汚染規制のための府令(のちの条例)や同20年代の〈河川法〉以降である。この場合の公害は〈公益〉の反対概念であったが,やがて大正期に入ると,地方条例の中で,今日と同じように,大気汚染,水汚染,騒音,振動,悪臭などによる公衆衛生への害悪を総称して公害と呼んでいる。…

【都市】より

…第3には,巨大都市といくつかの大都市がその都市圏を連接し,一つの共通都市圏を形成するにいたったメガロポリス(巨帯都市)の誕生である。アメリカ合衆国北東部のボストンからニューヨークを経てフィラデルフィアに至る地帯に名づけられた名称であるが,ライン・ルール,ロンドン・バーミンガム,シカゴ・シンシナティ,ロサンゼルス,東京・大阪などもメガロポリスの性格をもっているといわれるようになった。
[都市問題]
 都市が拡大する速度(都市化の速さ)と都市施設の整備の速度が均衡がとれていれば,住民の生活や都市の活動は順調に進むが,都市化の速度が急速になると,人口増加や都市機能の高度化の速度に都市施設の整備が追いつけず,種々のひずみ現象が現れる。…

【難波】より

…現在の大阪市の上町台地北半部を中心とする地域の古称。おおむねもとの摂津国東成,西成両郡の地にあたる。…

【平野郷】より

…摂津国住吉郡の在郷町(現,大阪市平野区)。中世には平等院領杭全荘(くまたのしよう)などがあったが,戦国期に環濠都市として発展,七名家といわれる末吉,土橋(つちはし),三上,成安,辻葩(つじはな)らが年寄として支配した。…

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