四・一二クーデタ(読み)よんいちにクーデタ

百科事典マイペディア 「四・一二クーデタ」の意味・わかりやすい解説

四・一二クーデタ【よんいちにクーデタ】

中国上海で1927年4月12日に起こったクーデタ上海クーデタとも。北伐軍の北上に呼応して上海で成立した中共指導の臨時政府に対し,列強浙江財閥の支援を受けた蒋介石は,国民党北伐軍と紅幇(ホンパン)・青幇(チンパン)を使い,労働者武装隊を攻撃して武装解除させ,共産党員,労働者を虐殺させた。このため,革命軍は分裂し,反共事件が続発したため,第1次国共合作は事実上崩壊した。
→関連項目何香凝周恩来杜月笙南京国民政府南京事件白崇禧

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「四・一二クーデタ」の解説

四・一二クーデタ(よんいちにクーデタ)

1927年4月12日上海で起きた蒋介石(しょうかいせき)による反共クーデタ。上海クーデタともいう。中国国民党は1924年中国共産党と第1次国共合作を行ったが,25年の孫文の死後国民党内にはこれに反対するグループが生まれた。蒋介石もしだいに反共化に転じるなか,27年共産党主導の武漢政府が成立した。武漢政府のもとで大衆運動が激化。漢口,南京とあいついで租界襲撃,諸外国の武力行使を招く。上海は3月共産党指導下の労働組織上海総工会の武装蜂起によって占領された。そのため国民革命軍は無血入場を果たす。総工会は大規模なゼネストと租界の回収を宣言。これに対して上海の漢口・南京化を恐れた資本家と諸外国および国民党内の反共派は蒋介石にこれを未然に防ぐことを要請。蒋はこれ以上の大衆運動の激化はかえって諸外国の軍事侵攻を増長させると判断し,4月12日未明,総工会各機関を配下の白崇禧(はくすうき)軍に襲撃させ,クーデタに踏み切った。この後,武漢政府と分裂して18日南京国民政府が成立。国共分裂を導くことになった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報