南京国民政府(読み)ナンキンコクミンセイフ

デジタル大辞泉 「南京国民政府」の意味・読み・例文・類語

ナンキン‐こくみんせいふ【南京国民政府】

1927年4月、国民党右派の蒋介石が反共クーデターによって南京に樹立した政府広東拠点とする国民革命政府が、北伐を通して勢力を拡大したもので、同年8月、国民党左派の武漢政府を吸収して、列国承認を受け、中華民国の正式な中央政府となった。

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百科事典マイペディア 「南京国民政府」の意味・わかりやすい解説

南京国民政府【ナンキンこくみんせいふ】

中国で中華民国時代,中国国民党によって組織された国民政府のうち,南京に政府がおかれた時期(1927年―1937年)をいう。第1次国共合作のもとで1926年国民政府は北伐を開始するが,その過程で政府を武漢湖北省)にするか南昌(江西省)にするかで対立し,汪兆銘を中心とする国民党左派と共産党は,蒋介石の反対をおしきって武漢政府を樹立した(1927年2月)。蒋介石は1927年,四・一二クーデタを起こして南京国民政府を建て,共産党を弾圧し,一方,武漢政府内でも国民党左派と共産党の対立が鮮明化して,7月には共産党が政府から締め出され,第1次国共合作は崩壊した。同年9月には武漢政府も南京に合流し,南京政府では蒋介石が主席となり,浙江財閥と結んで米・英・国際連盟に接近し,共産党軍の討伐軍閥の整理,幣制改革などに着手した。日本の東北進出が強化されると(1931年満州事変など),これを国際連盟に提訴したが,かえって日本の華北進出を招いて国民の支持を失い,1936年の西安事件を経て第2次国共合作に合意させられた。1937年,国民政府は南京から重慶移り,さらに昆明など転々としたが,第2次大戦後,一時南京に戻ったものの,国共内戦に敗れた1949年台湾に移った。
→関連項目冀東防共自治政府上海事変中国国民政府北洋軍閥

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旺文社世界史事典 三訂版 「南京国民政府」の解説

南京国民政府
なんきんこくみんせいふ

北伐によって南京に建てられた,国民党指導下の政府
北伐の途上,国民党の蔣介石が1927年4月12日に上海クーデタを起こし,共産党・労働運動を弾圧して南京国民政府を樹立した。9月に武漢政府を吸収し,1928年の北伐完成後に蔣介石が主席に就任。共産党との内戦を戦いながら,地方軍閥の勢力削減や幣制改革の実施など政治経済上の統一と,関税自主権の回復など利権の回収につとめる。日中戦争の勃発により一時重慶に政府を移転したが,勝利後の1945年に南京に戻る。1947年1月に憲政を実施したが民意を得られず,共産党との内戦に敗れて49年台湾に逃れた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「南京国民政府」の解説

南京国民政府(ナンキンこくみんせいふ)

中華民国国民政府 ①

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