唯物論研究(読み)ゆいぶつろんけんきゅう

改訂新版 世界大百科事典 「唯物論研究」の意味・わかりやすい解説

唯物論研究 (ゆいぶつろんけんきゅう)

1932年に創立された唯物論研究会機関誌。同年11月創刊。同会は唯物論の学問的研究団体として設立され,岡邦雄,戸坂潤ら唯物論者を中心に多彩なメンバーを結集し,毎月定期に研究会,小集会を開いて活動した。非政治的活動のため弾圧は免れ,35年ころからは唯一の進歩的研究会として知識人,学生に大きな影響を与えた。雑誌の執筆者は,岡,戸坂のほか三枝博音,小倉金之助古在由重,加藤正,永田広志森宏一,船山信一らで,自然科学,社会科学,哲学,芸術論等について活発に論じた。後期には時事問題や当時の社会思潮の原理的な検討も行われた。とりわけ唯物弁証法,唯物史観の理論的研究に貢献した。37年以降《世界文化》《学生評論》《土曜日》を発行していた京都グループ(中井正一ほか)の検挙(11月),人民戦線事件(12月)などで情勢が厳しくなると,弾圧回避のため38年2月唯研は解散し,雑誌も3月終刊,4月には《学芸》と改題して発行を継続した。しかし38年11月29日以降,関係者の検挙が相次ぎ,同誌も11月に終刊した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「唯物論研究」の意味・わかりやすい解説

唯物論研究
ゆいぶつろんけんきゅう

唯物論研究会の月刊機関誌。1932年(昭和7)11月に創刊され、弾圧によって38年の3月号で終刊するまで65冊が発行された。その後『学芸』と改題され、38年11月の廃刊まで八冊が刊行された。マルクス主義哲学の諸理論の解明や、当時のファッショ的な反動哲学および日本主義思想との闘争において貴重な役割を果たした。戦後は一時期、唯物論研究所から発行されたが、やがて59年(昭和34)に発足した日本唯物論研究会の機関誌となった(60年4月~65年12月)。その後、79年11月に唯物論研究協会の機関誌として発刊されたが、改題され『思想と現代』として今日に至っている。

[山田敬男]

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世界大百科事典(旧版)内の唯物論研究の言及

【三枝博音】より

…広島県山県郡本地村の真宗寺院に生まれ,1922年東京帝国大学西洋哲学科卒業。その学問的関心は,はじめ宗教的合理性の追求にあり,認識論や現象学など哲学一般の問題であったが,在学中の兵役体験などから社会的なものに移り,ディルタイからマルクス主義の研究へ進み,《ヘーゲル及弁証法研究》誌を主宰,32年には戸坂潤,岡邦雄らと唯物論研究会を組織,《唯物論研究》の編集責任にあたり,反動的な観念論や日本哲学説への科学的批判を展開した。しかし当局の思想弾圧をうけ,郷里の先輩,医史学者富士川游のすすめで,日本哲学思想史ならびに科学・技術史の研究と著述活動に専念,《日本哲学全書》《日本科学古典全書》など基本史料の集大成のほか,《技術史》や《三浦梅園の哲学》など開拓的労作をのこした。…

【戸坂潤】より

…そして,非合理的な国家主義,日本主義が台頭し,ファシズム体制が強化される時代のなかで,哲学を〈思想の科学〉としてとらえ,それを社会に対する科学的〈批評〉として働かせる〈クリティシズム〉の確立を目ざした。1932年〈唯物論研究会〉を創立し,雑誌《唯物論研究》を創刊して,多彩な批評活動を行うとともに,自然科学と社会科学を世界観的に統一する科学方法論の課題を追求したが,やがて38年唯物論研究会は解散を命ぜられ,みずからも治安維持法違反で検挙された。その後も志を曲げず時代と戦ったが,44年9月に下獄,太平洋戦争敗戦直前の45年8月に獄死した。…

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