呉下の阿蒙(読み)ゴカノアモウ

デジタル大辞泉 「呉下の阿蒙」の意味・読み・例文・類語

ごか‐の‐あもう【呉下の××蒙】

《「阿」は親しみを表す語。呉の魯粛ろしゅく呂蒙りょもうに会って談議し、呂蒙のことを武略に長じただけの人物と思っていたが、今は学問も上達し、呉にいた頃の阿蒙ではないと言ったという、「呉志」呂蒙伝注の故事から》昔のままで進歩のない人物。呉下旧阿蒙

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精選版 日本国語大辞典 「呉下の阿蒙」の意味・読み・例文・類語

ごか【呉下】 の=阿蒙(あもう)[=旧阿蒙(きゅうあもう)

(「阿」は親しんでいう語。昔、中国の呉の魯粛(ろしゅく)が呂蒙(りょもう)に遇って談議し、呂蒙のことを武略に長じただけの人物と思っていたが、今は学問も上達し、かつて呉にいた時代の君ではない、と言ったという故事から) 昔ながらで進歩のない人物。学問のないつまらない者。
※東海一漚集(1375頃)二・松島請廉谿疏「屡分禅座於千光道場、学識非復呉下阿蒙
※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉八「三年たっても依然たる呉下の旧阿蒙と笑はれぬ様」 〔呉志注‐呂蒙伝〕

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故事成語を知る辞典 「呉下の阿蒙」の解説

呉下の阿蒙

以前と変わらず、進歩のない人物。学問のない、つまらない人物。

[使用例] 師すでくの如くなれば弟子もまた三年たっても依然たる呉下の旧阿蒙と笑われぬ様奮励しなければならぬ[徳冨蘆花*思出の記|1900~01]

[使用例] 同輩の者達がだんだん出世するのに自分だけ呉下の旧阿蒙でいるのは余り腑甲斐なくもあるし[谷崎潤一郎細雪|1943~48]

[由来] 「三国志りょもう伝」の注に引用された、「江表伝」に見える話から。後漢王朝末期の二世紀の終わりから三世紀の初め、中国の長江下流のという地方に、呂蒙という武将がいました。彼は、武将としてはすぐれていましたが、教養はあまりありませんでした。しかし、主君に諭されたことをきっかけに、学問に励むようになります。しばらくたって、昔なじみのしゅくという武将が、長江の中流あたりで久しぶりに呂蒙に会った際、見違えるほどの教養を身につけているのを知り、「呉下の阿蒙にあらず(呉にいたころの蒙ちゃんではないね。「阿」は人の名に付けて親しみを表す接頭語)」と言って驚いた、ということです。

[解説] ❶当時の教養とは、主に歴史過去出来事の中には、多く部下を統率しなければならない武将として、学ぶべきことがたくさんあります。マッチョで武芸一本槍だった呂蒙は、歴史を学習することで、さらに有能な武将へと成長しました。やる気さえあれば進歩できる、いい例でしょう。逆に、進歩しようという気概すらないのが、「呉下の阿蒙」なのです。❷このとき、呂蒙が魯粛に対して言った返事から、「刮目して待つべしという故事成語が生まれています。

〔異形〕呉下のきゅう阿蒙/旧阿蒙。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉下の阿蒙」の意味・わかりやすい解説

呉下の阿蒙
ごかのあもう

以前のとおりまったく進歩のない者、また学問のない者をいう。中国、三国時代の呉王孫権(そんけん)の将軍魯粛(ろしゅく)が、同僚の呂蒙(りょもう)の学問がたいへんに進んだことを褒めて、「貴方(あなた)は武略に通じているだけかと思っていたが、すっかりいまは学問も上達し、もはや呉の都下にいたころの、無学で字の読めない呂蒙ではない」といった、と伝える『十八史略』「東漢・献帝」の故事による。「阿」は親しみを表す敬語。

[田所義行]

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