十三宝塚遺跡(読み)じゆうさんぽうづかいせき

日本歴史地名大系 「十三宝塚遺跡」の解説

十三宝塚遺跡
じゆうさんぽうづかいせき

[現在地名]境町伊与久 上蒔初

昭和四八年(一九七三)から造成された伊勢崎佐波工業団地の一画で発見された。遺構は配置に企画性をもち、律令制下の官衙跡と推定されている。柵列で囲まれた中枢部と、その東側に等間隔で付随する三つの掘立柱建物群、それを大きく取囲む大溝からなる。中枢区画東西八二メートル、南北九二メートルで東南隅は直角、西南隅は鋭角で北柵列は台形状に狭まり、北・西側は浅い溝で画される。内部には中央に二〇メートル、一六メートルの方形土壇の上に、一二・六メートル、九・六メートルの建物、西南隅近くに一辺一二メートル四方の方形土壇上に九メートル四方の建物、北辺ほぼ中央に削り出し土壇をもつ建物の三棟がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「十三宝塚遺跡」の解説

じゅうさんぽうづかいせき【十三宝塚遺跡】


群馬県伊勢崎市境伊与久にある官衙(かんが)跡。市の東方、赤城山麓の末端に形成された台地上に位置する。遺跡は、北・西・南を大溝で画した東西約180m、南北約250mの範囲をもち、全体に不整形の方形を呈する。中枢部はこの区画の北寄り中央部にあり、その遺構は南・西の各辺82m、東辺92m、北辺60mの台形状に柵をめぐらし、南辺中央部には掘立柱建物からなる門跡、その内部中央には建物基壇、その西南部には方形基壇が配置される。この配置状況がきわめて官衙的な様相を示していることから、奈良時代から平安時代におよぶ佐位郡衙と推定する説があり、各種の施釉(せゆう)陶器、『倭名類聚抄』に載る佐位郡内の多くの郷名の頭字を印した郷銘瓦の出土などは、この説を補強するものと考えられている。古代地方官衙の形態を知るうえで重要であるとともに、古代上野地方の古代史究明にとって重要な遺跡とされ、1988年(昭和63)に国の史跡に指定された。東武鉄道伊勢崎線剛志(ごうし)駅から徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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