北条城跡(読み)きたじようじようあと

日本歴史地名大系 「北条城跡」の解説

北条城跡
きたじようじようあと

[現在地名]柏崎市北条

北条の集落西方標高約一四〇メートルにある。西方には鯖石さばいし川、南方には支流長鳥ながとり川が流れる。北方は約一〇キロで曾地そち峠へ通じる。本丸は長さ約一六〇メートル、幅約一五メートル。南に空堀・二ノ丸・空堀・畝形阻塞と続いて専称せんしよう寺に至り、大手道をなす。東は郭と空堀が築かれ、山麓普広ふこう寺に至り、搦手道をなす。東麓には長鳥川に向かって北条町方五ヵ村と称された四日町よつかまち(あるいは道場町)七日町なのかまち八日町ようかまち新町あらまち(荒町)家近いえちかの城付集落があり、通称小千谷おぢや街道に沿って町屋寺院が軒を連ねる。天和三年(一六八三)の北条之内町方五ケ村検地帳写(柏崎市立図書館蔵)によると、地字に城跡にかかわるとみられる地名がみえる。

北条城跡
ほうじようじようあと

北条城は延元二年(一三三七)八月二六日の相馬胤平軍忠状(相馬文書)に四月九日のこととして「常陸国小田兵衛(ママ)館籠于御敵、同越中入道館・同田中城并北条城并村田館・同小栗馳向、於凶徒者、(追)落城館令(退)治候畢」とみえ、小田おだ城の支城と考えられ、「小田氏系譜」では小田氏五代宗知の弟宗行が分家して北条城および山木やまき城を拠点としており、小田氏分家北条氏の被官大沢氏の在城も伝えられる。

北条城跡
ほうじようじようあと

現坂城町御所沢ごしよざわに位置したと考えられている。建武二年(一三三五)九月土豪村上信貞に属した市河経助は、当時北条時行党に属していた薩摩刑部左衛門入道を、坂木「北条城」に攻めこれを落したとある(市河文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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