坂木村(読み)さかきむら

日本歴史地名大系 「坂木村」の解説

坂木村
さかきむら

[現在地名]坂城坂城さかき

南は中之条なかのじよう村、西は千曲川に限られ、東北は鏡台山葛尾かつらお山で、北は上戸倉かみとぐら(現戸倉町磯部)と接する。村内込山こみやまからは縄文土器が出土する。保元二年(一一五七)銘の銅製経筒が北日名きたひなから出土し、その成立の古さが知れる。

和名抄」記載の埴科はにしな郡内の郷名に「坂城」とあるのを初見とする。「宴曲抄」中の善光寺修行の件に「塩尻赤池・坂木・柏崎」とあって「坂木」と記される。享徳三年(一四五四)五月、諏訪社上社の五月会の頭役として、「坂木・五月会、代官飯野左京亮信宗、御符之礼三貫三百文、御鉾本一貫三百文、使一貫文、頭役百貫文、神鷹、神馬御教書之礼如各御符」のほか寛正五年(一四六四)五月会・頭役、応仁二年(一四六八)四月の花会頭役とあり諏訪社上社との関係は深い(諏訪御符礼之古書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報