勝善寺(読み)しようぜんじ

日本歴史地名大系 「勝善寺」の解説

勝善寺
しようぜんじ

[現在地名]須坂市本上町

柳頭山と号し、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。

寺伝によれば、井上頼綱の子明空が正治元年(一一九九)水内みのち中俣なかまた(現長野市柳原)に創立。明空は建保四年(一二一六)下総国磯部に至り親鸞の弟子となった。応永年間(一三九四―一四二八)信越に末寺五二、檀家五千戸(川中島四郡に三千四〇〇戸)という。天正四年(一五七六)石山合戦で七世顕順は摂津花熊城に戦死本山取立てとして、水内郡小市こいち村(現長野市安茂里あもり浄興じようこう寺の息鳥羽伝内を住職とした。

勝善寺
しようぜんじ

[現在地名]蒲郡市坂本町 深山

永尾山と号し、真言宗醍醐派。本尊観世音菩薩。創立年代をつまびらかにしないが、永禄年間(一五五八―七〇)兵火に焼かれて廃退し、一時は観音堂のみとなったという。「静里村誌」には「承元年中、高野山助源法師諸国遊歴ノ砌コノ所ニ来リ、仏法有縁ノ霊地ナリトテ三所ノ伽藍ヲ建立シ、熊野三社ノ本地ヲ勧請ス。則チ永尾山勝善寺ト号ス。又西ニ当リ薬師堂ノ跡アリ。薬勝寺ト云フ。麓ニ阿弥陀堂ト称スル所アリ。三所ノ旧跡トハコレナリト」とある。文化年間(一八〇四―一八)境内から銅鐘が発掘された。

勝善寺
しようぜんじ

[現在地名]甲府市後屋町

後屋うしろや町地区南部にある。太平山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は木造釈迦如来。嘉慶元年(一三八七)八月一九日の同像の胎内墨書銘によれば、貞和三年(一三四七)頃に浄土宗系寺院から禅宗寺院に改宗、無量寿仏(阿弥陀仏)を焼失したため、勧縁比丘周亮が僧俗男女等に勧進して浄財を集め、大仏師増光を招いて瑞雲庵で釈迦如来像を造り、勝善寺に安置した。同銘文にみえる住持比丘中津は臨済宗夢窓派の高僧絶海中津で、多数の僧侶とともにこの仏像の造像計画に深く関係していた。銘文の多くを占める勧進に応じた者を書上げた人名・法名のうち法光は武田信成の法名、満春はその子布施満春、頼武は満春の子と考えられ、武田氏一族の本尊造顕への関与がうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「勝善寺」の解説

勝善寺

(長野県須坂市)
信州の古寺百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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