百科事典マイペディア 「人名」の意味・わかりやすい解説
人名【じんめい】
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…瀬戸内海の海上交通の要地に位置する塩飽諸島や小豆島などは幕初から天領であったが,生駒氏改易後は新たに満濃池の普請費用を確保するため那珂郡の3ヵ村(2290石余)が天領となった(これを池御領(いけごりよう)という)。塩飽では豊臣秀吉より島の構成員たる人名(にんみよう)に島の石高(1250石)が与えられ,以来人名の中の有力者である年寄の合議によって島の政治が行われ,1797年(寛政9)には年寄が政務を執る勤番所(きんばんしよ)が建てられた(現在,復元・保存されている)。西廻海運の発達によって中世に水軍として活躍した塩飽では廻船業が発展し,幕府の城米輸送船として大いに栄えたが,近世後期には衰えた。…
…秀次の朱印状をうけ,関ヶ原の戦後の1600年(慶長5)9月には徳川家康より,30年(寛永7)8月には秀忠から同様の朱印状をうけ,幕府の御用船方として領地を安堵された。この650人を大名・小名に対して人名(にんみよう)とよぶ。 人名は各種の幕府の船役・水主役をつとめる代りに1250石の土地の領知権と周辺海域の漁業権などを認められていた。…
…江戸時代,讃岐塩飽(しわく)諸島(丸亀市)にみられた人名の制度。人名とは1590年(天正18),豊臣秀吉から検地高1250石の領知を認められた塩飽島中船方650人のことで,その数は本島の泊,笠島浦をはじめ塩飽諸島の20の浦々に90から7の範囲で配分されていた。…
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