佐竹寺(読み)さたけじ

日本歴史地名大系 「佐竹寺」の解説

佐竹寺
さたけじ

[現在地名]常陸太田市天神林町

天神林てんじんばやし集落の高台、県道の北側にある。真言宗豊山派で妙福山明音院と号する。本尊十一面観音。寺伝によると大同二年(八〇七)徳諡の草創、寛和元年(九八五)花山天皇勅願で元密が堂宇創建、永延二年(九八八)明音院の勅額を下賜されたという。当寺は初めつるヶ池北の洞崎ほらがさきの峰(稲村神社の北の山)にあって観音寺と称し、鎌倉時代は佐竹初代昌義の帰依により寺領三〇〇貫文の地を与えられ、代々佐竹氏の菩提寺として外護された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐竹寺」の意味・わかりやすい解説

佐竹寺
さたけじ

茨城県常陸太田(ひたちおおた)市天神林(てんじんばやし)町にある真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の寺。妙福山(みょうふくざん)明音院(みょうおんいん)と号する。本尊は十一面観音。坂東三十三所霊場第22番札所。807年(大同2)に徳一(とくいち)(徳謚)が開創し、985年(寛和1)に花山(かざん)天皇の勅願により僧元密(げんみつ)が洞崎(ほらさき)の峰上に堂宇を創建したという。初めは観音寺と称する律宗寺院であったが、1269年(文永6)に佐竹長義(ながよし)が醍醐(だいご)三宝院流の真言宗寺院として復興した。初代昌義(まさよし)以来、中世を通じて佐竹氏の保護を受け、代々の菩提寺(ぼだいじ)とされた。1543年(天文12)に堂宇が焼失後も、佐竹氏の尽力により再興。現存する本堂(国重要文化財)はこのときのものである。「佐竹系図」などの寺宝がある。

水谷 類]

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デジタル大辞泉プラス 「佐竹寺」の解説

佐竹寺

茨城県常陸太田市にある真言宗豊山派の寺院。山号は妙福山、院号は明音院。本尊は十一面観音。807年徳一の開創、985年花山天皇の勅願により堂宇を建立と伝わる。常陸国佐竹氏代々の菩提寺。本堂は国の重要文化財に指定

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