天神林村(読み)てんじんばやしむら

日本歴史地名大系 「天神林村」の解説

天神林村
てんじんばやしむら

[現在地名]常陸太田市天神林町

源氏げんじ川の右岸に位置し、東は稲木いなぎ村。「常陸国風土記」の久慈郡に「軽直里麻呂、堤を造きて池をつくりき」とあるが、現在水田になっているつるヶ池がその池ともいう。南は久慈川の沖積地帯にあたる。「和名抄」の久慈郡にみえる佐竹さたけ郷の地とされ、「新編常陸国誌」に「此地七代天神ノ祠アルヨリ村名トナル」とある。「尊卑分脈」には、源義業の子昌義に「号佐竹冠者 信濃守 相模三郎 住常陸国 母常陸住人清幹女」と注記され、佐竹氏の始祖として記述される。

天神林村
てんじんばやしむら

[現在地名]望月町天神

望月もちづき宿の南、鹿曲かくま川沿いに位置し、片倉かたくら村・比田井ひたい村・高呂こうろ(ともに現望月町)に接する。慶長一五年(一六一〇)の田野口組・畑村組・長右衛門組・望月組貫目御帳(竹内文書)には、望月組のうち「三百貫文 天神林村」とあり、元和八年(一六二二)の佐久郡高書上帳(柳沢文書)には「五百廿六石八斗 天神林」とみえる。

村域に古墳群を残し、高呂・比田井とともに古代より東信地方に繁栄した望月氏一族の支配下にあったと考えられるが不詳。

西の丘陵古城跡があり、天神林城または高呂城とよぶ。三方が険峻ですべて土石の塁をめぐらした五郭を有する大規模なもので、建武二年(一三三五)小笠原経氏に攻め落とされた望月城は、この城であったとする説がある。

天神林村
てんじんばやしむら

[現在地名]加茂市天神林

加茂新田の南、北西に流れる下条げじよう川が信濃川に合流する地にある。天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)に「岡部助二郎分 天神林村」とあるが、これより先、天文一二年(一五四三)一二月一三日の某知行宛行状(浅野家文書)に「天神林岡部分之内」とみえる。直江兼続検地を命じた文禄四年(一五九五)六月一一日の黒印状(上松文書)には、大槻おおつき庄一〇ヵ村のなかに村名がみえる。慶長三年(一五九八)新発田藩領となり、同一〇年の給知方村々高目録(新発田市史資料)に二二石三斗余が毛付、一七九石九升余が荒と記される。寛永七年(一六三〇)藩主溝口宣直の弟宣秋(切梅家)と宣俊(池ノ端家)の相給地となった(「古書附類集」日野田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android