仙光寺(読み)せんこうじ

日本歴史地名大系 「仙光寺」の解説

仙光寺
せんこうじ

[現在地名]鴨島町山路

十川山と号し、国一くにいち八幡神社に隣接している。現在は日蓮宗寺院であるが、寺籍は天台寺門宗に属する。本尊は日蓮大菩薩。正平年間(一三四六―七〇)に善智が再興したとの所伝がある。南北朝時代から江戸時代初期の古文書一九通と般若心経一巻を一括で伝え、これらの史料から当寺が中世以来熊野先達の拠点だったことが明らかになる。嘉吉二年(一四四二)二月二七日の十河幸賢願文案(二階堂家文書)には「阿州おゑのそかわひき檀那」などとみえ、十河(十川)先達を称し、板西ばんざい(現板野町)の「かゝみ殿」などを先導して紀州熊野へ赴いていた。文安五年(一四四八)一二月二二日の別当覚葉旦那職売券によれば、この頃には現吉野町柿原かきはらに拠点をもったとみられる柿原別当(現同町薬師寺か)弟子に位置づけられ、麻殖おえ庄内に居住していたとみられる檀那を直銭一貫五〇〇文で同別当から譲られている。

仙光寺
せんこうじ

[現在地名]湯浅町湯浅 南鍛冶町

福蔵ふくぞう寺の南に位置。白塔山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。文明八年(一四七六)畠山氏の一族である道宗の開基。道宗は蓮如に帰依して法弟となり、ひろ(現和歌山県広川町)城主畠山氏との縁戚関係により湯浅に居住したという。畠山氏は湯浅の屋形を寺屋敷として道宗に与えたが、これが当寺の起源という(湯浅町誌)。また「続風土記」は「明応八年釈道雲といふ者本願寺実如上人に帰依して家地を道場とす、後寺号となる」と記す。

仙光寺
せんこうじ

[現在地名]斑鳩町龍田北四丁目

竜田たつた川左岸、北庄きたのしよう集落の北西部に位置。山号は清涼山融通念仏宗。本尊阿弥陀如来。脇に安置する木造十一面観音立像(平安後期)は国指定重要文化財。もとは聡明そうみよう(現斑鳩町)とともに大和法隆寺の末寺であったが、承暦年中(一〇七七―八一)奈良興福寺の支配するところとなった(古今目録抄、太子伝玉林抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報