竜田村(読み)たつたむら

日本歴史地名大系 「竜田村」の解説

竜田村
たつたむら

[現在地名]斑鳩町大字竜田・竜田一―四丁目・竜田北一―五丁目・竜田南一―六丁目

竜田川の東、矢田やた丘陵南麓に立地し、大坂街道に沿う街村。集落の西側を竜田川が流れ、古来紅葉で知られ、三室みむろ山・磐瀬いわせノ森など名所も多く、県立竜田公園に指定。平安後期には、平群へぐり郡八条一〇里に久甲女くかめ里とよばれた里があった。八条一〇里は現在の竜田集落の北に該当し、竜田集落の前身と推定される。

竜田は古く法隆寺西郷に含まれ、村域内には法隆寺の鎮守として立野たつの(現三郷町)から勧請された竜田神社(新宮)が鎮座する。中世には法隆寺支配の市として竜田市が生れた。寛元元年(一二四三)市の神として竜田新宮西方に西宮にしのみや(現兵庫県西宮市)広田ひろた社の夷神を勧請、その際、法隆寺東・西両郷の郷民が猿楽を演じ、のち東西両郷が交代で奉仕するに至った(法隆寺寺要日記)。また竜田市の繁栄に伴って道路の改修も行われ、寛元三年には横路よこみち(法隆寺前)―竜田馬場(竜田神社前)間の東西に直行する道路、元応二年(一三二〇)にはさくら(法隆寺西方の池)より広田社の東に至る間道がそれぞれ拡張されている(嘉元記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報