日本大百科全書(ニッポニカ) 「人種」の意味・わかりやすい解説
人種
じんしゅ
race
現生の人類はホモ・サピエンスという単一種に属するが、多型的かつ多様的である。人種はその種内の変異の産物である。その変異は適応放散の結果であり、多分に地域と結び付く。人種は人類の生物学的・遺伝学的区分であるため、しばしば動物界の亜種に相当するとみられるが、それほど単純ではない。それは、人類には婚姻で代表されるような独自の繁殖制度があるからである。
人種は文化的・歴史的区分である民族、政治的・行政的区分である国民、宗教的区分である教徒などとは、別個の区分概念である。いかに巧みに英語を話し、アメリカ文化を身につけようとも、日系二世アメリカ人は身体的、人種的には日本人である。多くの人々はこれを十分心得ていながら、一方で、「人食い人種」などという言葉を口にしてきた。仮に、ある社会に人食いという慣習があったとしても、それは文化的行為であり、生物学的特性ではない。またユダヤ人種なるものを想定するが、それはおかしい。ユダヤ教に帰依(きえ)し、それゆえ独特の風俗習慣をもつ集団をユダヤ人とよぶことはできるが、それは人種ではない。金髪の多いポーランドのユダヤ人には金髪が多く、黒髪の多いスペインのユダヤ人には黒髪が多いということからでも、そのことは明白である。
本来人種は集団についていう。アメリカの人類遺伝学者スターンは「人種とは遺伝的に多少なりとも隔離された人類集団で、他のいかなる隔離集団とも違った集団遺伝子構造を有するもの」と定義した。したがって、人種は、統計学的思考によって理解されるものであり、一つの人種集団の成員はおおむね共通の人種特徴群をもつ。たとえば、金髪は北欧人のシンボルともいえる特徴であるが、その成員の4分の1は金髪ではない。しかし、その他の諸特徴によって北欧人集団に入れられる。また、ある種の血液型の頻度が二つの集団間で似ているからといって、ただちに両者を同一人種とみなすことはできない。他の血液型や人種特徴が異なる可能性があるからである。人種を考える場合、その集団の人口の大きさは重要である。人種をどの段階で区分するかは、多分に仮定的、恣意(しい)的である。なお、個人について某々人種であると一般にいわれるが、それはあくまで便宜的な称呼であり、厳密にいえば、某々人種型とよぶのがよい。
以上は従来の考え方であるが、最近、とくにアメリカ社会では人種という語が日本語におけるよりはるかに曖昧(あいまい)に用いられており、そのためその語の学問的使用が制限され、むしろ社会学的概念となっている。また人種差別問題との関係から、「人種」という語は自然人類学の教科書からは消え、そのかわりに「多様性」という語が登場している。多様性はまさしく人種概念の本質であるから、この意味で、本稿では使い慣れた「人種」という語をあえて用いることにする。これまでの日本の学界や教育界では、人種・民族・国民をきちんと使い分けてきたが、このほうがはるかに一般に理解されやすいであろう。
[香原志勢]
人種特徴
人種特徴には、遺伝すると考えられる形質があげられるが、その多くの遺伝様式は明らかでない。たとえば身長は人種により大いに異なり、また遺伝するものとされているが、一方、栄養や生活環境によって著しく影響される。その点、血液型や血清タンパクは遺伝様式がよくわかっているので、系統を論じるにはぐあいがよいが、とかく人類の認識は視覚に大きく頼るため、伝統的な人種概念は形態をもとにしており、人種特徴も目につきやすいものが多い。人種特徴として形態的なもののほか、生理的なもの、最近はとくに生化学的なものが広く採用されている。
皮膚の色はもっとも目だつ特徴である。古くから用いられる白人や黒人などという俗称がその事実を裏書きしている。皮膚の色はメラニン色素の量によって決められており、それが多ければ黒色や濃褐色、中程度であれば褐色や淡褐色(いわゆる黄色)、ごく少なければ、毛細管の血液の色が透けて、赤みを帯びた白色になる。熱帯の人々は濃色の皮膚が多く、緯度が高くなるにしたがって明色の皮膚の個人の頻度が高くなる傾向がある。毛髪や目の虹彩(こうさい)の色も、メラニン色素の量の多少による。モンゴロイドの小児の尻(しり)の皮膚には青い斑紋(はんもん)がみられる。特別な機能はないまま、成人になると消失するので、小児斑という。コーカソイドではほとんどみられない。
頭髪の毛の形も直毛、波状毛、縮毛と、いろいろな段階がある。とくに著しい螺毛(らもう)は1本1本が独立に巻く。毛の横断面が円形ならば直毛であるが、楕円(だえん)の程度が増すにしたがって巻き方が強くなる。またコーカソイドの毛はモンゴロイドの毛に比べて細く、頭髪はふさふさとして柔らかくみえる。あごひげや体毛の量や生える部分は、人種によりかなりの差がある。若禿(わかは)げの出現度にも人種差があり、コーカソイド男子では出現度が高いが、アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)ではきわめて低い。
頭の形も、頭最大長と幅、頭耳高、そしてこれらの値の間の示数、あるいは前・上・側面から見た頭の輪郭などについても、特定の人種に特有のものがある。顔や、鼻の幅や高さ、頬(ほお)骨の突出程度、頤(おとがい)の張り出し方、突顎(とつがく)=直顎の程度も重要な記載の対象であり、鼻根部付近の骨の形は人種によって特徴が出やすい。鼻や眼瞼(がんけん)(まぶた)の形、眼裂の方向、唇の厚さ、耳介や耳たぶの形など、頭蓋(とうがい)骨や顔面についても人種差がみられる。
身長、四肢(しし)や体幹の比率、体格の頑健(がんけん)度、姿勢、皮下脂肪、臀部(でんぶ)の形、乳房の形や大きさなどについても人種差がみられる。
以上のものは目につきやすいものであり、異人種意識をおこさせやすい形態学的特徴であるが、一方、目につきにくい特徴として、手足の指紋、掌紋の様式の頻度、歯の形や大きさ、骨の細部の形、筋肉や血管の変異など、多数のものをあげることができる。
コーカソイドやネグロイドは体臭が強く、モンゴロイドでは弱い。体臭はアポクリン汗腺(かんせん)の発達程度と関連する。わきががある場合、耳垢(みみあか)は湿性である。体力、基礎代謝量、耐寒性、耐暑性、耐光性も人種によりかなりの変異があるが、これらの機能は形態と多分に関連する。ネグロイドの優れた跳躍力はその細長い下腿(かたい)、突出したかかとなど、解剖学的見地からも十分予想できる。味覚障害や色覚障害の頻度も人種によって異なるが、これはそれぞれの人種集団の農耕経済、産業経済の採用の早い・遅いにかかわるところが大きい。一卵性双生児出産の頻度は全人種ほぼ同一であるが、二卵性は大幅に異なり、出生1000人につき、日本人は3人弱であるが、ネグロイドは20人である。身体発育の遅速にも人種差がある。知能や気質などにも人種差が予想されるが、それらの概念は明らかでなく、測定法も不完全なことが多く、また文化的要因の介入するところが甚だ大きく、現実には比較不能である。
生化学的な特徴には、遺伝様式が明快なものが多く、近年とみにその威力を発揮している。ABO式、MN式、Rh式など多くの血液型で集団内比率に人種差がみられる。とくにDNAによる検査は急速な発達をとげている。これらの諸特徴の総合化により、今日では各人種集団間の遺伝距離を相当程度数量的に表すことが可能となり、人種間の系統関係が明らかになりつつある。
[香原志勢]
人種分類
古来、多数の学者がさまざまな人種分類表の作成を試みている。人種分類が非常に困難なのは、(1)古人類との関連が不明確であること、(2)人種特徴の評価が不定であること、(3)人種特徴、とくに目だつ特徴の遺伝関係が不明であること、(4)人種間の混血や移住が進み、近年では混住の傾向が広くみられ、集団の把握に苦慮すること、(5)一般動物と異なり、人類では人種形成の実験的研究が不可能であること、(6)人種というものの生物学的概念がかならずしも明確でなく、民族や国民と区別しにくい点があり、さらに研究者自身の世界観が投影されやすいこと、などがあげられる。とくに最近は混血、移住が激しく、重要な少数人種集団が絶滅に瀕(ひん)していることが、人種分類の作業のむずかしさに拍車をかけている。
今日よく知られている分類表としては、(1)毛髪を重んじたドゥニケ(1926)、(2)頭形、鼻示数を用いたディクソン(1923)、(3)毛髪に主点を置き、身長、頭示数、鼻示数を併用したハッドン(1930)、(4)三大人種を基幹とし、各種複合人種を想定して加えたフートン(1947)、(5)三大人種にそれぞれ主人種、副人種、特殊型、中間型を組み合わせた分類体系を作成したアイクシュテット(1939)、(6)三大人種に原始人種を加え、地理的分布に力点を置いたバロア(1948)、(7)人種形成論に主点を置くクーン(1950)、(8)遺伝様式の明確な形質を用いて分類に新分野を開いたボイド(1950)、(9)地理的人種、地域人種、微人種という概念を導入したガーン(1961)などがあげられる。
このような数多くの分類方法に共通するのは、ネグロイド、コーカソイド、モンゴロイド(語尾のオイドは「のようなもの」という意味)の三大人種である。なお、これらに対応して、体表の色彩に従った、黒人、白人、黄色人種という語があるが、俗称であり、適切なものではない。コーカソイドのなかには、白い肌の北欧人とともに黒い肌のインド・アフガン(いわゆるインド人)が入っている。両者の体表の差異は大きいが、骨格などはよく似ている。
ネグロイドの主体はアフリカ・ネグロイドであり、これに対してメラネシア人を大洋州ネグロイド、またはメラネソイドというが、最近の免疫化学的研究によれば、両者の間の系統関係はきわめて疎遠である。同様にコイサン人やピグミーもアフリカ・ネグロイドとはかなり疎遠である。
成人男子の平均身長が150センチメートルの集団をピグミー(ギリシア語で「こびと」の意)という。彼らはアフリカから東アジアに至る熱帯降雨林の奥深くに散在している。アフリカのそれをネグリロ、アジアのそれをネグリトとよぶが、両者の関係は浅い。短身は森林内での活動に適している。
三大人種に入れにくいものもあり、その一つはオーストラリア・アボリジニーである。これはインド南部やスリランカに住むベッダとともにオーストラロイドとよばれるが、比較的古代型を保っているとして独自な地位を与えられる。アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)、ポリネシア人、ミクロネシア人をモンゴロイドから引き離し、三大人種という分類のなかに含めない見方もある。アイヌはこれまでコーカソイドの祖型とみなされたが、今日、日本の人類学者はこれをモンゴロイドの一つとみている。
[香原志勢]
人種の起源と人種形成
人種の起源については多元論と単元論がしのぎを削ってきた。かつて、高名な人類学者のなかにも、「黒人と白人との差異は動物の種間の差よりも大きい」と唱える者がいたが、今日では、そのような考え方は完全に否定されている。
人類は精神活動が活発なため、異人種意識が強く、長い歴史の間では、似た者同士が集まって、目だつ形質を中心に一つの人種を形成したと考えられる。また、人類は種としてもっとも分布の広い動物であるため、さまざまな気候、地形に適応しなければならなかった。さらにその長い歴史は超過疎の状態にあったため、互いに隔離が進み、同時に遺伝的浮動を伴って、さまざまな人種に分かれたものと考えられている。
グローガーの法則によれば、温暖で多湿の地域の動物ほど、体表の色素沈着が著しいが、それは人間にもいえる。密林に住むネグリロは漆黒に近い。しかし、色素沈着は紫外線に対する反応である。紫外線の強い低緯度地帯の住民は濃色の皮膚をもつことで有害な紫外線の体内侵入を防ぐ。しかし、高緯度、とくに曇天の多い北ヨーロッパでは、白い肌のほうがビタミンD形成の補助をするに適した波長の紫外線を吸収しやすい。
ベルクマンの規則によると、寒冷地方の動物ほど体が大きい。また、アレンの規則によると、寒冷地方の動物ほど丸みを帯びた体をもつ。その点、エスキモーのずんぐりして、四肢の短く太い体格は酷寒の地によく適している。一方、ネグロイドやオーストラロイドの痩(や)せて、四肢が長く、すらりとした体格は、放熱作用を効果的にする。ネグロイドは手足の凍傷にかかりやすく、熱帯の日差しのもとに居住する皮膚の白い人々は皮膚癌(がん)にかかりやすい。なお、クーンその他は、モンゴロイドの顔や体は乾燥した酷寒の気候環境に適しているという。その顔は凹凸に乏しく、鼻は低く、頬骨は側方に高く張り、眼瞼は脂肪を豊かに含み、はれぼったくみえる。このような人種特徴をもつに至ったのは、その先祖が氷期の東北アジアの酷寒に適応して生き抜いたからだとし、その過程を十分に受けないでアメリカ大陸に渡ったのがアメリカ先住民(アメリカ・インディアン)である。
アフリカでは鎌(かま)状赤血球を遺伝形質としてもつ人々がいるが、正常状態では貧血しやすく、死亡率が高いにもかかわらず、その遺伝子の発現率は低下しなかった。それは、その形質保持者がマラリアに対する強い抵抗性をもっていたからである。その証拠として、非マラリア地域に移住した者の間では、この貧血症の出現率ははるかに低い。この貧血症はネグロイドに多く出現する。
[香原志勢]
人種の今後
諸人種の栄枯盛衰はそれぞれの人口によって維持されている。その増加率の差違と移住、混血の進展により、数世紀後の人種地図はいまと大幅に変わることであろう。
皮膚の色は紫外線に対する適応の結果であるから、これによる人種差別は無意味である。しかし、人種偏見は有形無形に現れており、これに対する反発も根強い。楽天的な人々は、未来の人類社会には、今日みるような人種はなくなり、すべてが混融するであろうと考えるが、人種差別の撤廃は、あくまで理念であって、現実には今後も人種および人種偏見は残る可能性がある。それというのも、人類は身体についての関心を強くもつからであり、そのことは正義の問題とは無関係である。しかし、科学技術の発達により、風土に対する不適応はかなり補われるであろう。問題は人種概念の不明確さであり、加えて政治的な曲解を恐れて、最近の人類学者は人種そのものに触れることを避ける風がある。一方、遺伝関係があいまいなところから、遺伝学志向の強い一部人類学者は、人種という概念を認めようとしない。しかし、従来の人類分類表をそのまま受け入れることはできないが、現実に身体上の類似性をもつ人類集団がおり、それが地域的に分布する現状を無視することはできないであろう。
[香原志勢]
『寺田和夫著『人種とは何か』(岩波新書)』▽『寺田和夫編『人類学講座7 人種』(1977・雄山閣出版)』▽『富田守編『人類学』(1985・垣内出版)』▽『NIRA(総合研究開発機構)編『世界民族問題事典』(1995・平凡社)』