二ノ町
にのちよう
[現在地名]村上市二之町・三之町
旧村上城二ノ丸にあたり、城の北西方にある。堀と土塁がコの字形をなし、郭内に侍屋敷が配されていた。道は南隅の中ノ門からほぼ北に一九二間延び、小石垣門に達する町並。正保(一六四四―四八)の城下絵図(国立公文書館蔵)には、臥牛山上の城郭に本丸・二ノ丸・三ノ丸と書かれ、山麓の郭には侍町とのみ記す。「松平直矩公御代記」寛文二年(一六六二)三月二二日条に二ノ丸の侍屋敷の記事がみえる。
二ノ町
にのまち
[現在地名]久居市二ノ町
本町の東裏通りにあたる。職人町で、指物師・細工師などの職人が多く居住したらしく、現在も家業を継ぐ家が六軒残っている。町の中央部で東に突出た所に、藩主の菩提寺玉寺がある。延宝七年(一六七九)寺地を与えられ、現津市西来寺第一四世秀全を招いて開基とした。天台真盛宗。当初玉泉寺と称したが、宗家津藩主の和泉守に遠慮して泉をに改めた。
二ノ町
にのちよう
[現在地名]水戸市城東二丁目
東は三ノ町、西は一ノ町。もとは内河崎ともいい、元禄三年(一六九〇)佐野八兵衛前町を二ノ町と名付けた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報