中村仲蔵(読み)なかむらなかぞう

精選版 日本国語大辞典 「中村仲蔵」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐なかぞう【中村仲蔵】

歌舞伎俳優。
[一] 初世俳名秀鶴。屋号栄屋。江戸の人。立役・実悪にすぐれ、天明期(一七八一‐八九)の実悪の名優。志賀山流の舞踊名手で、「関の扉」「戻駕」などを初演。仲蔵振りと呼ばれる。自伝「雪月花寝物語」、随筆「秀鶴日記」を残す。元文元~寛政二年(一七三六‐九〇
[二] 三世。江戸の人。慶応元年(一八六五)三世仲蔵を襲名敵役・所作事で幕末から明治にかけて活躍。自伝「手前味噌」。文化六~明治一九年(一八〇九‐八六

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デジタル大辞泉 「中村仲蔵」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐なかぞう〔‐なかザウ〕【中村仲蔵】

[1736~1790]歌舞伎俳優。初世。屋号、栄屋。江戸の人。俳名、秀鶴。忠臣蔵五段目の定九郎をはじめとして、実悪じつあく演技に長じ、すぐれた型を残した。舞踊志賀山流中興の祖。

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改訂新版 世界大百科事典 「中村仲蔵」の意味・わかりやすい解説

中村仲蔵 (なかむらなかぞう)

歌舞伎役者。江戸系と大坂系の2派がある。江戸の初世,3世,大坂の初世,4世が名高い。

(1)初世(1736-90・元文1-寛政2) 幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名6世中山小十郎,8世志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。浪人斎藤某の子とも,渡し守の甥ともいう。4歳のとき,5世中山小十郎・志賀山お俊夫婦の養子となり,7歳で踊りの稽古を始めるとともに,2世中村伝九郎(当時勝十郎)に入門,市十郎と称し,のち中蔵と改め,10歳で初舞台。以後,若衆方,立役へと進み,1761年(宝暦11)冬,中の字を仲に変えた。66年(明和3)色悪に転じ,9月市村座の《忠臣蔵》五段目に定九郎を勤め,演技に工夫をこらして新しい人間像を創造,出世芸となった。このときの苦心談は講談,落語に脚色されている。以来,実悪の諸役に腕をふるい《千本桜》の権太,《曾我》の工藤(釣狐の工藤),《荵売》の大日坊,《関の扉》の関兵衛など,仲蔵の型,仲蔵ぶりと呼ばれて後世に残る優れた表現を生んで,〈地芸の上手,所作の妙手〉とたたえられた。85年(天明5)冬,中山小十郎と改名,同時に志賀山万作を名のり,翌年10月《寿世嗣三番叟》を復活して,志賀山の一流を世にあらわした(志賀山流)。同冬,旧名に復して上坂。帰東後,《戻駕》に難波の次郎作を演じて好評を博したが,病を得,90年に没した。《月雪花寝物語》《秀鶴日記》などの手記を残した。なお,初世の養子中村万作(1768-98・明和5-寛政10)は,4世芳沢あやめの子で,初名芳沢鶴松,前名2世芳沢吉十郎。1785年(天明5)11月中村仲蔵を襲名したが,翌冬,万作名に復し,のち7世中山小十郎をつぎ役者をやめて振付に専心したため,代数に数えない。

(2)2世(1761-96・宝暦11-寛政8) 初名大谷永助。前名2世大谷春次,3世大谷鬼次。俳名十州。屋号政津屋。3世大谷広次門。1794年11月襲名。初世の芸風を伝えた。

(3)3世(1809-86・文化6-明治19) 幼名富太郎(亀吉とも)。前名初世中村鶴蔵。俳名雀枝,秀雀,舞鶴,秀鶴。屋号成雀屋,舞鶴屋,栄屋。5世中村伝九郎門。1865年(慶応1)10月襲名。《与話情浮名横櫛》の蝙蝠安(こうもりやす)が出世芸。著書に《手前味噌》がある。

(4)4世(1855-1916・安政2-大正5) 本名岩城米吉。初名中村銀之助,前名12世中村勘五郎。俳名秀鶴。屋号舞鶴屋。13世中村勘三郎,3世仲蔵門。1915年4月襲名。

(5)5世(1935-1992・昭和10-平成4) 本名中村正太郎。前名13世中村勘五郎。屋号舞鶴屋。1989年(平成1)4月襲名。

(1)初世(?-1810(文化7)) 前名佐野川万吉。俳名素朝。屋号姫路屋。通称中橋,白万。2世中村十蔵の弟子中村岩蔵門。天明・寛政期(1781-1801)の浜芝居の大立者。(2)2世 初世の三男。前名中村柳蔵。俳名素朝。屋号姫路屋,井筒屋。初世の没後襲名。(3)3世 2世の養子。前名尾上徳三郎。つんぼ市と仇名された宮芝居の役者。(4)4世(1817-81・文化14-明治14) 前名初世坂東寿三郎。1848年(嘉永1)1月襲名。のちの4世中村嘉七。幕末・明治の名優。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村仲蔵」の意味・わかりやすい解説

中村仲蔵
なかむらなかぞう

歌舞伎(かぶき)俳優。

初世

(1736―90)屋号栄屋(さかえや)。俳名秀鶴(しゅうかく)。『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』五段目の定九郎の新演出や天明(てんめい)期(1781~1789)における劇舞踊の大成者として著名な俳優。浪人の子に生まれる。江戸長唄(ながうた)の名手中山小十郎(こじゅうろう)(妻は志賀山お俊(しゅん))に養育された。門閥のない下回りから出発し、逆境と戦いながら実力をもって出世し、1785年(天明5)には実悪(じつあく)の至上上吉にまで昇った。色悪(いろあく)、敵役(かたきやく)、立役(たちやく)を兼ね、写実的な芸風で知られる一方、所作事(しょさごと)では当時の第一人者であった。常磐津(ときわず)地の『関の扉(せきのと)』や『戻駕(もどりかご)』の初演者。舞踊の志賀山流には「仲蔵ぶり」とよぶ独自の振(ふり)の型が伝わる。『月雪花寝物語(つきゆきはなねものがたり)』『所作修業旅日記』『秀鶴随筆』などの著書がある。

[服部幸雄]

2世

(1759―1796)初世の養子。2世大谷春次(はるじ)、3世大谷鬼次(おにじ)を経て、1794年(寛政6)11月2世仲蔵を襲名した。初世仲蔵の芸風を慕い、よくそれを吸収していたが、襲名後まもなく没した。

[服部幸雄]

3世

(1809―1886)初世同様下回りから出発し、苦労のすえ、実悪で古今の名人と称されるまでになった。1853年(嘉永6)に『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の蝙蝠安(こうもりやす)を演じて成功、これが出世芸になった。1865年(慶応1)3世仲蔵を襲名。芸道の故実に通じ、芝居道の師匠番として重んじられた。『手前味噌(てまえみそ)』『絶句帖(ぜっくちょう)』の著書がある。

[服部幸雄]

4世

(1855―1916)13世中村勘三郎の門弟。12世中村勘五郎が、1915年(大正4)4月に4世を襲名したが、翌年正月に病没した。

[服部幸雄]

5世

(1935―1992)17世中村勘三郎の門弟。13世中村勘五郎が1989年(平成1)に5世仲蔵を襲名した。脇役(わきやく)として活躍したが早世した。

 なお、上方(かみがた)にも中村仲蔵を名のる俳優があり、その名跡は4世まで続いた。初世は浜芝居の大立者として、天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)に活躍した人。4世(1817―1881)は初世坂東寿三郎(ばんどうじゅうざぶろう)が1848年(嘉永1)に継いだ。3世中村歌七(かしち)の養子、後の4世中村嘉七(かしち)。2、3世は目だたなかった。

[服部幸雄]

『小池章太郎訳『口訳手前味噌――三代目仲蔵自伝』(1972・角川書店)』


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デジタル大辞泉プラス 「中村仲蔵」の解説

中村仲蔵(なかぞう)

古典落語の演目のひとつ。人情ばなし。「蛇の目傘」とも。

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