歌舞伎役者。江戸系と大坂系の2派がある。江戸の初世,3世,大坂の初世,4世が名高い。
(1)初世(1736-90・元文1-寛政2) 幼名万蔵。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名6世中山小十郎,8世志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。浪人斎藤某の子とも,渡し守の甥ともいう。4歳のとき,5世中山小十郎・志賀山お俊夫婦の養子となり,7歳で踊りの稽古を始めるとともに,2世中村伝九郎(当時勝十郎)に入門,市十郎と称し,のち中蔵と改め,10歳で初舞台。以後,若衆方,立役へと進み,1761年(宝暦11)冬,中の字を仲に変えた。66年(明和3)色悪に転じ,9月市村座の《忠臣蔵》五段目に定九郎を勤め,演技に工夫をこらして新しい人間像を創造,出世芸となった。このときの苦心談は講談,落語に脚色されている。以来,実悪の諸役に腕をふるい《千本桜》の権太,《曾我》の工藤(釣狐の工藤),《荵売》の大日坊,《関の扉》の関兵衛など,仲蔵の型,仲蔵ぶりと呼ばれて後世に残る優れた表現を生んで,〈地芸の上手,所作の妙手〉とたたえられた。85年(天明5)冬,中山小十郎と改名,同時に志賀山万作を名のり,翌年10月《寿世嗣三番叟》を復活して,志賀山の一流を世にあらわした(志賀山流)。同冬,旧名に復して上坂。帰東後,《戻駕》に難波の次郎作を演じて好評を博したが,病を得,90年に没した。《月雪花寝物語》《秀鶴日記》などの手記を残した。なお,初世の養子中村万作(1768-98・明和5-寛政10)は,4世芳沢あやめの子で,初名芳沢鶴松,前名2世芳沢吉十郎。1785年(天明5)11月中村仲蔵を襲名したが,翌冬,万作名に復し,のち7世中山小十郎をつぎ役者をやめて振付に専心したため,代数に数えない。
(2)2世(1761-96・宝暦11-寛政8) 初名大谷永助。前名2世大谷春次,3世大谷鬼次。俳名十州。屋号政津屋。3世大谷広次門。1794年11月襲名。初世の芸風を伝えた。
(3)3世(1809-86・文化6-明治19) 幼名富太郎(亀吉とも)。前名初世中村鶴蔵。俳名雀枝,秀雀,舞鶴,秀鶴。屋号成雀屋,舞鶴屋,栄屋。5世中村伝九郎門。1865年(慶応1)10月襲名。《与話情浮名横櫛》の蝙蝠安(こうもりやす)が出世芸。著書に《手前味噌》がある。
(4)4世(1855-1916・安政2-大正5) 本名岩城米吉。初名中村銀之助,前名12世中村勘五郎。俳名秀鶴。屋号舞鶴屋。13世中村勘三郎,3世仲蔵門。1915年4月襲名。
(5)5世(1935-1992・昭和10-平成4) 本名中村正太郎。前名13世中村勘五郎。屋号舞鶴屋。1989年(平成1)4月襲名。
(1)初世(?-1810(文化7)) 前名佐野川万吉。俳名素朝。屋号姫路屋。通称中橋,白万。2世中村十蔵の弟子中村岩蔵門。天明・寛政期(1781-1801)の浜芝居の大立者。(2)2世 初世の三男。前名中村柳蔵。俳名素朝。屋号姫路屋,井筒屋。初世の没後襲名。(3)3世 2世の養子。前名尾上徳三郎。つんぼ市と仇名された宮芝居の役者。(4)4世(1817-81・文化14-明治14) 前名初世坂東寿三郎。1848年(嘉永1)1月襲名。のちの4世中村嘉七。幕末・明治の名優。
執筆者:今尾 哲也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歌舞伎(かぶき)俳優。
(1736―90)屋号栄屋(さかえや)。俳名秀鶴(しゅうかく)。『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』五段目の定九郎の新演出や天明(てんめい)期(1781~1789)における劇舞踊の大成者として著名な俳優。浪人の子に生まれる。江戸長唄(ながうた)の名手中山小十郎(こじゅうろう)(妻は志賀山お俊(しゅん))に養育された。門閥のない下回りから出発し、逆境と戦いながら実力をもって出世し、1785年(天明5)には実悪(じつあく)の至上上吉にまで昇った。色悪(いろあく)、敵役(かたきやく)、立役(たちやく)を兼ね、写実的な芸風で知られる一方、所作事(しょさごと)では当時の第一人者であった。常磐津(ときわず)地の『関の扉(せきのと)』や『戻駕(もどりかご)』の初演者。舞踊の志賀山流には「仲蔵ぶり」とよぶ独自の振(ふり)の型が伝わる。『月雪花寝物語(つきゆきはなねものがたり)』『所作修業旅日記』『秀鶴随筆』などの著書がある。
[服部幸雄]
(1759―1796)初世の養子。2世大谷春次(はるじ)、3世大谷鬼次(おにじ)を経て、1794年(寛政6)11月2世仲蔵を襲名した。初世仲蔵の芸風を慕い、よくそれを吸収していたが、襲名後まもなく没した。
[服部幸雄]
(1809―1886)初世同様下回りから出発し、苦労のすえ、実悪で古今の名人と称されるまでになった。1853年(嘉永6)に『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の蝙蝠安(こうもりやす)を演じて成功、これが出世芸になった。1865年(慶応1)3世仲蔵を襲名。芸道の故実に通じ、芝居道の師匠番として重んじられた。『手前味噌(てまえみそ)』『絶句帖(ぜっくちょう)』の著書がある。
[服部幸雄]
(1935―1992)17世中村勘三郎の門弟。13世中村勘五郎が1989年(平成1)に5世仲蔵を襲名した。脇役(わきやく)として活躍したが早世した。
なお、上方(かみがた)にも中村仲蔵を名のる俳優があり、その名跡は4世まで続いた。初世は浜芝居の大立者として、天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)に活躍した人。4世(1817―1881)は初世坂東寿三郎(ばんどうじゅうざぶろう)が1848年(嘉永1)に継いだ。3世中村歌七(かしち)の養子、後の4世中村嘉七(かしち)。2、3世は目だたなかった。
[服部幸雄]
『小池章太郎訳『口訳手前味噌――三代目仲蔵自伝』(1972・角川書店)』
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
昭和・平成期の歌舞伎俳優
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…洒落本,黄表紙,川柳など〈通(つう)〉を理想とする質の高い文芸が展開するのもこの時期で,都市の消費生活のゆとりを反映しておおらかでのんびりした歌舞伎の作劇,芸,演出が喜ばれ,いわゆる天明歌舞伎が開花する。作者では初世桜田治助,役者では初世中村仲蔵が天明歌舞伎を代表する。治助の作品は伝統的な江戸歌舞伎独特の作風を洗練・発展させたもので,全体にはなやかなムードに包まれ,洒脱で機知に富んでいる。…
…座頭役者の子が親の名跡(みようせき)を継ぎ,あるいは高弟が師匠の名跡を継いで,座頭となる場合が多かった。それだけに,下級の役者から出世して,実力だけで座頭の地位につくのは至難の業で,初世中村仲蔵,4世市川小団次らは,その稀有な例。立女方(たておやま)を指して〈女方の座頭〉と呼ぶことはあった(《三座例遺志(さざれいし)》)が,原則として女方は一座の座頭にはならなかった。…
… この点注目に値するのは,日本の自伝的伝統の根深さとその特質である。早くも平安朝に女流日記という形の優秀な自伝の輩出を見たばかりか,江戸時代にも山鹿素行,新井白石,松平定信などの武士をはじめ,町人学者の鈴木牧之,歌舞伎俳優の中村仲蔵,放浪僧の金谷上人など,幅広い階層にわたる自伝の輩出がみとめられる。しかも,ヨーロッパの自伝と異なり,その多くは,宗教,政治の色彩は希薄で,私生活に密着し,日常性が強い。…
…振事は,歌舞伎舞踊の動きが物真似的な〈振り〉にあることから,また景事はとくに上方で,道行の景色を舞うことからいう。享保から宝暦期(1716‐64)に初世瀬川菊之丞,初世中村富十郎によって女方芸として洗練され,安永・天明期(1772‐89)には9世市村羽左衛門,初世中村仲蔵ら立役が進出し浄瑠璃所作事の隆盛をみ,また文化・文政期(1804‐30)に至って〈兼ねる〉役者の3世坂東三津五郎,3世中村歌右衛門らがいくつもの役柄を続けて踊る変化(へんげ)物を流行させた。所作事の上演には,花道,本舞台に所作舞台を敷き,出語り,出囃子となることがある。…
…歌舞伎役者初世中村仲蔵の自伝的随筆。成立年不詳。…
…長唄。1784年(天明4)11月江戸桐座で,初世中村仲蔵の出羽郡司小野良実により初演。本名題《狂乱雲井袖(きようらんくもいのそで)》。…
… 享保から宝暦(1751‐64)には,初世瀬川菊之丞と初世中村富十郎が《無間の鐘(むけんのかね)》《石橋(しやつきよう)》《娘道成寺》などの名作を生み,女方舞踊を完成させた。また従来の長唄の伴奏以外に豊後節系の常磐津節・富本節,おくれて清元節など劇場音楽が発達し,物語的な舞踊劇の浄瑠璃所作事が完成,同時に演者も立役や敵役にまで広がって,初世中村仲蔵による《関の扉(せきのと)》《戻駕(もどりかご)》《双面(ふたおもて)》の作を生んだ。江戸後期には3世中村歌右衛門,3世坂東三津五郎を中心に変化物の上演が盛んになり,バラエティに富んだ小品舞踊の曲を組み合わせて,早替り,引抜きなどの技法によって1人で何役も踊り分けた。…
…歌舞伎役者の自叙伝。3世中村仲蔵著。1855年(安政2)著者47歳のときに起筆され,晩年にいたるまで書き継がれる。…
…その後51年まで座元を勤める。(13)13世(1828‐95∥文政11‐明治28) 1851年(嘉永4)座元を相続したが,幕末から経営不振が続き,75年には3世中村仲蔵に座元を譲った。ここに,江戸歌舞伎中もっとも古い歴史をもち,血縁にのみ名跡を継承させ,座元の地位を保った中村勘三郎の名跡は断絶した。…
※「中村仲蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...