大日坊(読み)だいにちぼう

日本歴史地名大系 「大日坊」の解説

大日坊
だいにちぼう

[現在地名]朝日村大網

大網おおあみ上村かみむら集落北部に位置する。湯殿山の北西麓にあたり、近世の六十里越街道に面する。湯殿山総本寺と号し、真言宗豊山派。本尊大日如来。天長二年(八二五)弘法大師空海の開山、渡海の開基と伝える。出羽三山八方七口の一、大網口を占め、古くから湯殿山表口別当として栄えた。三山詣の道者は当坊に宿泊し、衆徒先達で湯殿山に参詣(朝日村誌)、同山は女人禁制であったため、当寺は女人の参拝所としても知られた。近世には滝水寺金剛院大日坊と号し、寛政元年(一七八九)宗門改帳(寺蔵)によれば出家二・行人二・召仕一二がおり、ほかに衆徒(修験)として一一ヵ寺があげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大日坊」の意味・わかりやすい解説

大日坊
だいにちぼう

山形県鶴岡(つるおか)市大網にある真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の寺。山号は湯殿山(ゆどのさん)。本尊は大日如来(にょらい)。寺の縁起によれば825年(天長2)空海(くうかい)の開基という。湯殿山四別当の一つで、湯殿山表口別当滝水寺大日坊と号し、奥の院を管理した。湯殿山は女人禁制であったので、空海が当寺を女人の湯殿山遙拝所(ようはいじょ)として大日如来を安置したと伝える。三代将軍徳川家光(いえみつ)の乳母であった春日局(かすがのつぼね)も本寺に祈願した。本堂には1783年(天明3)に入定したという真如海上人(しんにょかいしょうにん)の即身仏が安置されている。寺宝には伽羅枕(きゃらまくら)、黄金の碗(わん)(最上義光(もがみよしあき)奉納)、梵鐘(ぼんしょう)(1658作)、扁額(へんがく)(木庵性瑫(もくあんしょうとう)筆)など多数がある。

[中山清田]

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