下高橋官衙遺跡(読み)しもたかはしかんがいせき

日本歴史地名大系 「下高橋官衙遺跡」の解説

下高橋官衙遺跡
しもたかはしかんがいせき

[現在地名]大刀洗町下高橋・鵜木

大刀洗川右岸の低位段丘にある。下高橋上野しもたかはしうえの遺跡・下高橋馬屋元しもたかはしまやもと遺跡があり、いずれも国指定史跡前者は平成四年(一九九二)民間開発に伴い調査、同七年までの調査で東西一五〇メートル・南北一七〇メートル以上の長方形区画溝の内部に整然と並ぶ三間×四間の総柱建物六棟、大規模な側柱建物六棟、および東門・南門の遺構が発見された。同遺跡の四五〇メートル東にある下高橋馬屋元遺跡は同八年県道新設工事に伴い調査、その後の範囲確認調査により東西一七〇メートル・南北一七五メートルの二重の方形区画溝内に三間×五―八間の側柱建物三〇棟が重複して発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「下高橋官衙遺跡」の解説

しもたかはしかんがいせき【下高橋官衙遺跡】


福岡県三井郡大刀洗(たちあらい)町下高橋にある官衙跡。筑後平野の北部、宝満川の東側の南西眺望が開く場所に所在する奈良時代(8世紀)の郡衙跡。遺跡は大きく東西に並列した2つの方形区画に分けられる。東側の区画(馬屋元遺跡)では、約170m四方の方形の範囲を大小2重の溝で囲んだ中に、大規模な掘立柱建物が30棟以上発見された。西側の区画(上野遺跡)では、南北170m以上、東西150mの長方形の範囲を大溝で囲んだ中に大規模な掘立柱建物が18棟以上あった。そのうち13棟は高床式倉庫で当時の税である米を収納した正倉と考えられている。古代、この地域は筑後国御原(みはら)郡に属したが、1967年(昭和42)に発見された小郡(おごおり)官衙遺跡が御原郡衙に比定されている。小郡官衙遺跡は、8世紀中ごろになると、区画溝からは大量の鉄鏃(てつぞく)が出土するなど、軍事的要素がうかがえる。このころ、下高橋官衙遺跡が成立したと考えられており、郡衙機能が小郡官衙遺跡から下高橋官衙遺跡に移転したことが推測される。1998(平成10)に国の史跡に指定された。甘木鉄道甘木線松崎駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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