下本郷村(読み)しもほんごうむら

日本歴史地名大系 「下本郷村」の解説

下本郷村
しもほんごうむら

[現在地名]三日月町下本郷

細月みかづき村の北、角亀つのがめ川に流入する本郷川下流域の谷に位置し、両側は標高三〇〇―三五〇メートル級の山地。北は上本郷村、東は山を隔てて揖保いぼまき(現新宮町)小原おはら湯浅口ゆあさぐち湯浅中村なかむら仁増にんぞうの五集落がある。慶長国絵図に「本郷」「尾原」「いわさ口」「中村」がみえる。これらは地内の小原・湯浅口・中村に比定される。江戸期の領主の変遷は細月村に同じ。正保郷帳には下本郷村・上本郷村に分立する前の東本郷村がみえ、田方一六三石余・畠方四二二石余、はへ山有と注記される。

下本郷村
しもほんごうむら

[現在地名]益田市下本郷町・乙吉町おとよしちよう

益田川下流右岸、遠田とおだ台地南西部に位置し、南は上本郷村、西は乙吉村。もと益田本郷であったが、のちに益田川上流地帯の人口増加により、下流にあたるこの地を分離し、下本郷と名付けた。江戸時代の支配の変遷は益田村と同じ。元和五年(一六一九)の古田領郷帳に下本郷とみえ、高二八八石余、年貢は田方八八石余・畑方二一石余。正保四年(一六四七)の古田領郷帳でも下本郷とあり、高二八三石余、免四ツ二分。

下本郷村
しもほんごうむら

[現在地名]豊田町下本郷

上本郷村の南にあり、中央部をぼうそう川、西部を前野まえの用水が南流する。正保(一六四四―四八)以前に同村と分れたという(遠江国風土記伝)。正保郷帳に下本江村とみえ、幕府領、田方一六七石余・畑方四一石余、養福ようふく(現曹洞宗)領一石。元禄一一年(一六九八)旗本秋元領となり幕末に至る(国立史料館本元禄郷帳・旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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