磐田郡(読み)いわたぐん

日本歴史地名大系 「磐田郡」の解説

磐田郡
いわたぐん

面積:六三八・三一平方キロ(境界未定)
浅羽あさば町・福田ふくで町・竜洋りゆうよう町・豊田とよだ町・豊岡とよおか村・龍山たつやま村・佐久間さくま町・水窪みさくぼ

県西部に位置する。郡域は四地区に分れ,北部地区は長野県下伊那しもいな天龍てんりゆう村・南信濃みなみしなの村、北西は愛知県北設楽きたしたら富山とみやま村・豊根とよね村・東栄とうえい町、東は榛原はいばら本川根ほんかわね町、南は周智しゆうち春野はるの町・天竜市に接する。中央部の豊岡村は北は天竜市、東は周智郡もり町、南は袋井市・磐田市、西は南流する天竜川を挟んで浜北市に接する。南西部地区は北・東は磐田市、西は天竜川を挟んで浜松市に接し、南は遠州灘に面する。南東部地区は北は袋井市・磐田市、東は小笠おがさ大須賀おおすか町、西は磐田市に接し、南は遠州灘に面する。南東を太田おおた川、西部を天竜川が支流を集めながらともに南流し、遠州灘に入る。

〔古代〕

和名抄」東急本国郡部には「盤田」の郡名に「伊波太」の訓注がある。古代の郡域は天竜川東岸、現在の磐田市を中心に広がる。同市内は静岡県内で最も古墳の集中する地域であり、太田川西岸の新豊院山しんぽういんやま古墳群、天竜川東岸の銚子塚ちようしづか小銚子塚こちようしづか古墳など四世紀代にさかのぼる古墳も多い。「古事記」や「国造本紀」所載の遠淡海国造の本拠地を郡内に比定する見解もある。「和名抄」には、飯宝おお曾能その山香やまか入見いるみ小野おの千柄ちから高苑たかその壬生にう野中のなか久米くめ小谷おたに神戸かんべ豊国とよくに駅家うまやの一四郷が記される。古代東海道が東西に貫通し、「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条によれば五疋の伝馬が置かれる。また同書九条家本同条にみえる引摩いんま駅も郡内に比定される。「万葉集」巻八秋相聞の、遠江守桜井王の歌に対する聖武天皇の報和歌「大の浦のその長浜に寄する波寛けく君を思ふこの頃」の割注に「大の浦は遠江国の海浜の名なり」とみえる。この「大の浦」は、中世「今の浦」とよばれた磐田市南部から福田町付近に広がる入海のことと考えられている。また郡域西部には西隣の長上ながのかみ長下ながのしも両郡と共通基準に基づく条里地割の存在が指摘され、磐田市上大之郷かみおおのごう付近で地割の復原が行われている。郡名は「続日本紀」霊亀元年(七一五)五月二五日条の、麁玉あらたま河決壊により敷智ふち・長下・「石田」の三郡の民家一七〇余区が埋没したという記事にみえる。平城京跡左京三条二坊六坪の出土木簡にも「遠江国石田郡」の表記をもつ舂米付札がある(「平城京左京三条二坊六坪発掘調査報告」―一四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android