上南村(読み)かみなむら

日本歴史地名大系 「上南村」の解説

上南村
かみなむら

[現在地名]蒲生町上南

新堂しんどう村の南、日野川東岸の平地に位置する。単に南村とも称し、寛永石高帳・正保郷帳・「輿地志略」などでは名村とも記される。寛永二年(一六二五)旗本進藤領。同一〇年から寛文九年(一六六九)まで山城淀藩領。寛永石高帳に旗本関領とするのは誤りか。幕府領ののち、延宝八年(一六八〇)から宝永二年(一七〇五)まで甲斐甲府藩領。正徳元年(一七一一)から宝暦六年(一七五六)まで美濃加納藩領。天明二年(一七八二)から旗本岡部領。文政八年(一八二五)村内一三八石余が丹波福知山藩領となり、幕末に至る。残りの一〇四石余は弘化二年(一八四五)陸奥棚倉藩領、のち武蔵川越藩領となり、幕末に至る。

上南村
かみみなみむら

[現在地名]三木市細川町瑞穂ほそかわちようみずほ

下南村の北東小川おがわ川の上流域に位置する。北東は入野いりの村。慶長国絵図にみえる北畑が当村とみられる。正保郷帳では南畑村に含まれた。元禄郷帳に村名がみえ、「古ハ南畑村」と注記される。高一一九石余。天保郷帳では高一四一石余。初め姫路藩領で、元和三年(一六一七)明石藩領となり、以後幕末まで同藩領であったと考えられる(旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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