上ノ原遺跡
かみのはらいせき
[現在地名]須玉町江草
茅ヶ岳西麓、標高七七〇―八五〇メートルの細長い西向き尾根を中心に広がる縄文時代―平安時代の集落遺跡。平成三年(一九九一)から同五年にゴルフ場造成工事に先立ち発掘調査が行われた。調査面積は約二万八〇〇〇平方メートル。現況は山林・畑で、A―C区の三地区に分れる。A区は尾根上の緩やかな傾斜面にあり、平安時代竪穴住居跡一二軒、掘立柱建物跡四棟などがある。B区は南傾斜の急な立地で、縄文時代中期末敷石住居跡一軒、後期敷石住居跡三軒、平安時代竪穴住居跡三三軒、掘立柱建物跡一棟、土壙八七基がある。C区は尾根南斜面から尾根上の広大な地区で、縄文時代中期竪穴住居跡一〇軒、後期敷石住居跡九二軒、平安時代竪穴住居跡二八軒、縄文時代掘立柱建物跡六棟、平安時代掘立柱建物跡五棟、土壙六六〇基がある。
上ノ原遺跡
うえのはらいせき
[現在地名]山都町 木曾
木曾集落の北、只見川と一ノ戸川の合流地点に形成された河岸段丘上、標高約一八〇メートルに立地。昭和五七年(一九八二)に発掘調査が実施されて、沼沢沼軽石層の直下から縄文時代早期・前期の遺物・遺構が検出された。遺物は前期の大木4式・6式の深鉢が主体を占めており、関東系の諸磯B式の有孔土器・深鉢や浮島III式なども出土している。
上ノ原遺跡
かみのはるいせき
[現在地名]川南町川南 上ノ原
小丸川の左岸、標高八〇―九〇メートルの国光原台地上の南縁辺部に所在する集落遺跡で、周囲に川南古墳群の四六号墳・四八号墳・五六号墳が隣接する。昭和六〇年(一九八五)に調査が行われ、弥生時代後期―終末期の竪穴住居跡六軒、溝状遺構二条、五六号墳の周溝、縄文時代早期の集石遺構・配石遺構が検出された。
上ノ原遺跡
かみのはるいせき
大淀川支流の本庄川と深年川に挟まれた標高約四〇メートルの本庄台地東端に所在する。果樹園の施肥用の溝を掘ったことにより発見され、昭和五九年(一九八四)に調査が行われた。調査は幅一メートル前後のこの溝部分のみであったことから、明確な遺跡の性格は不明だが、縄文時代早期の集石遺構と竪穴住居跡か、土坑と思われる土層の落込みが二二ヵ所確認された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報