三時知恩寺(読み)さんじちおんじ

精選版 日本国語大辞典 「三時知恩寺」の意味・読み・例文・類語

さんじちおん‐じ【三時知恩寺】

京都市上京区上立売町にある浄土宗尼寺。応永年間(一三九四‐一四二八)後光厳天皇皇女見子(入江)内親王崇光天皇の旧御所を寺とし、足利義満の娘、覚窓性山尼を第一世としたのに始まり、代々皇女が住持となった。比丘尼御所一つ入江御所入江殿

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日本歴史地名大系 「三時知恩寺」の解説

三時知恩寺
さんじちおんじ

[現在地名]上京区上立売町

新町しんまち通に西面する。浄土宗で旧入江御所と称する尼寺。本尊阿弥陀如来。入江殿由来(三時知恩寺文書)に「順徳帝御代俊上人、宋朝より将来之善導大師御自作の尊像、土御門・順徳・後堀川三帝江御戒師の砌、右之尊像を被献、宮中ニ御安置あらせられしに、夜々光明を放ち、霊顕伊ちじるし、其後年月おへて、入江内親王此尊像を深く御信心ましまし、乞受て、伏見之里入江ちよ処に、仮の庵を結び給いて、朝夕の御看経等あそばされたてまつりしとなん」とあり、善導自作の尊像を伏見ふしみ(現京都市伏見区)の一庵に祀ったことに始まるとする。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三時知恩寺」の意味・わかりやすい解説

三時知恩寺
さんじちおんじ

京都市上京(かみぎょう)区新町通上立売下ルにある単立寺院。もと浄土宗尼門跡(もんぜき)で、入江御所(いりえごしょ)とも称した。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)。後光厳(ごこうごん)天皇(在位1352~71)の皇女見子内親王が、崇光院(すこういん)より御所入江殿を賜り、唐伝来の善導大師像を祀(まつ)ったことに始まると伝える。足利義満(あしかがよしみつ)娘の性仙(または性善)禅尼開基として迎え、自らは2世となり、知恩寺と号した。以後明治維新まで代々皇女が住持となって法燈(ほうとう)を継承した。後柏原(ごかしわばら)天皇(在位1500~26)のとき、宮中における六時の勤行(ごんぎょう)のうち、昼間三時の勤行を当寺で行うよう勅命されたのが現寺号の由来である。寺宝の絹本着色近衛家煕(このえいえひろ)像は国の重要文化財。

[大鹿実秋]

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