精選版 日本国語大辞典 「崇光天皇」の意味・読み・例文・類語
すこう‐てんのう スクヮウテンワウ【崇光天皇】
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北朝第3代天皇。在位1348-51年。光厳天皇第1皇子。名は初め益仁,後に興仁と改めた。母は陽禄門院三条秀子。1338年(延元3・暦応1)立太子,48年(正平3・貞和4)受禅,翌年即位式を挙げたが,51年(正平6・観応2)足利氏内紛により尊氏が南朝に一時降伏したため(正平一統)北朝は廃され,その翌年光厳・光明両上皇とともに吉野の賀名生に,後に河内天野山金剛寺に移された。57年(正平12・延文2)還京,伏見に住んだ。その間,光厳上皇より琵琶の奥義を受けた。還京後は御領の返還や,皇子直仁親王の即位を望み幕府に申し入れたがかなえられず,92年(明徳3)落飾し法名を勝円心と称した。98年1月13日65歳で死去。子孫は伏見宮家となり,曾孫彦仁親王は皇位を継いで後花園天皇となった。陵所は京都市伏見区桃山町の大光明寺陵。
執筆者:飯倉 晴武
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(相馬万里子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
北朝第3代天皇(在位1348~51)。名は興仁(おきひと)、益仁(ますひと)、伏見(ふしみ)殿。光厳(こうごん)天皇の第1皇子。母は陽禄門院藤原秀子(父正親町公秀(おおぎまちきんひで))。1338年(暦応1)8月立太子、48年(貞和4)10月践祚(せんそ)、翌年12月即位した。51年(観応2)足利(あしかが)一門の内紛に伴い南北の一時的和議がなると、南朝の後村上(ごむらかみ)天皇が京都に迎えられ、崇光天皇は廃位され、太上天皇の尊号を受けた。翌年北畠顕能(きたばたけあきよし)らの南軍により、光厳、光明(こうみょう)両上皇とともに賀名生(あのう)(奈良県吉野郡)に移された。57年(延文2)京都に帰り伏見殿に住し、92年(明徳3)出家した。陵墓は京都市伏見区桃山の大光明寺陵。
[小野信二]
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1334.4.22~98.1.13
在位1348.10.27~51.11.7
光厳(こうごん)天皇の第1皇子。名は益仁(ますひと)・興仁(おきひと)。母は陽禄門院秀子。1338年(暦応元・延元3)親王宣下,立太子。48年(貞和4・正平3)践祚(せんそ)。51年(観応2・正平6)正平一統で廃され,太上天皇の尊号をうける。翌年南朝軍に拉致され,57年(延文2・正平12)帰京。92年(明徳3・元中9)落飾(らくしょく),法名勝円心。98年(応永5)京都伏見殿で没した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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