バルディ家(読み)バルディけ

改訂新版 世界大百科事典 「バルディ家」の意味・わかりやすい解説

バルディ家 (バルディけ)

中世フィレンツェの都市貴族で大商人一族家系は19世紀まで続いたが,最盛期は1345年に終わった。同市のサント・スピリト区に居住し,現在でもバルディBardi家通りになごりをとどめる。13世紀後半に国際的商業・金融業により富を蓄積して有力になるとともに,14世紀には毛織物工業にも進出した。一族を中心とするバルディ商社は,13世紀後半から14世紀前半にかけて,ペルッツィ商社(ペルッツィ家)やアッチャイウォーリ商社アッチャイウォーリ家)等と並んで,フィレンツェの代表的商社であった。同社はイギリスからコンスタンティノープルにいたる各地に多くの支店をもち,教皇,イギリス王,ナポリ王をはじめとする各地の聖俗諸侯に金融し,代償として徴税・貨幣鋳造請負権や商品輸出権等を獲得した。こうした諸特権の維持・拡大には巨額の貸付けが必要であり,それには同社に預託された資金を当てたので,しばしば危険な経営状態に陥った。イギリス王への債権(ある史料によれば90万フィオリーニ)やナポリ王への債権の回収が不可能となり,1345年に倒産した(ちなみに,G.ビラーニの《年代記》によれば,1339年の項にはフィレンツェの年間財政収入は30万フィオリーニとある)。国内政治では,平民政権の体制防衛法たる〈正義の規定〉(1293,95)により豪族と指定され,権力の中枢機関であるシニョリーア(シニョリーア制)には参加しえなかったが,参加権をもつ平民の共同出資者・預託者に代弁させるなどして,大きな影響力をもった。上記倒産の危機を打開するために,1343年にクーデタによる政権獲得を計画したが失敗。なお,当時の商社活動の百科事典として有名な《商業実務手引書》を編集したペゴロッティFrancesco dé Balducci Pegolottiは同社の幹部社員であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルディ家」の意味・わかりやすい解説

バルディ家
ばるでぃけ
Bardi イタリア語

中世イタリアの代表的商人、銀行家の一族。12世紀にフィレンツェ市の市民権を得て、今日バルディ街道と名づけられるアルノ川対岸地区に住み、市の要職について勢力を振るった。13世紀後半に貿易と金融業により富を蓄積、毛織物工業にも進出し、コンスタンティノープルからロンドンまでの東西の主要都市に支店網を形成するに至る。しかし百年戦争(1337~1453)中イギリスのエドワード3世に多額の貸付を行い、回収不能となり、1346年破産した。

[佐藤眞典]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルディ家」の意味・わかりやすい解説

バルディ家
バルディけ
Bardi

中世イタリアのフィレンツェの大金融業者。ベルッツィ家と並んでヨーロッパ的規模で金融取引を営み,豪商として政治的な力も有していたが,百年戦争の際イングランド王エドワード3世に融資したことがもとで,1345年に倒産,政治力も瓦解した。

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