ペルッツィ家(読み)ペルッツィけ

改訂新版 世界大百科事典 「ペルッツィ家」の意味・わかりやすい解説

ペルッツィ家 (ペルッツィけ)

中世フィレンツェの大商人の一族。同市のサンタ・クローチェ地区に居住し,現在でもペルッツィPeruzzi広場にその名をとどめる。バルディ家と同様,13世紀後半~14世紀前半に国際的商業・金融業,毛織物工業に活躍し,富を蓄積して有力化した。各地に支店をもち,各地の権力者に金融を行い,代償としてさまざまの経済的特権を獲得したが,イギリス王への債権(ある史料によれば60万フィオリーニ)やナポリ王への債権の回収が不可能となり,1345年に倒産した(ちなみに,ビラーニG.Villaniの《年代記》によれば,1339年の項にはフィレンツェの年間財政収入は30万フィオリーニとある)。だがバルディ家とは異なり,平民政権の体制防衛法である〈正義の規定〉では平民と指定され,シニョリーア(シニョリーア制)をはじめとする共和国フィレンツェの権力諸機関に恒常的に参加し,直接的な形で同市の政治に大きな影響力を行使した。上記倒産後も一族は没落をまぬがれ,一定の経済的・政治的影響力をもち続け,メディチ家時代を通じて同市の指導的な家族の一つとしてとどまった。なお,前記の《年代記》を著したビラーニは一時ペルッツィ商社の社員であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルッツィ家」の意味・わかりやすい解説

ペルッツィ家
ペルッツィけ
Peruzzi

中世イタリアのフィレンツェの貴族家系,大金融業者。 12世紀頃までにはすでに有力貴族であったが,1260年フィリッポ・ディ・アミデオが教皇派 (グェルフィ) 連合の指導者となり,84年に新設されたプリオレ (市執政官) 職に選ばれた。その後一族からはプリオレに選ばれること 53回,ゴンファロニエーレ (最高執政官) には9回というほどに多くの市政高官を輩出した。 13~14世紀に大規模な商業・金融活動を営み,ナポリ,パリ,ロンドンなどの大都市に事業所をおいて諸国王,諸侯に巨額の融資をした。しかし,百年戦争の際にフィレンツェの同業者バルディ家と組んでイングランド王エドワード3世に融通した巨額の貸付金がこげついて,1343年に倒産の憂き目にあい,一族の没落だけではなくフィレンツェ市の財政に多大の混乱をもたらした。

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