ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンゴ王国」の意味・わかりやすい解説
コンゴ王国
コンゴおうこく
Kongo
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
14世紀ごろから17世紀にかけて、今日のコンゴ民主共和国(旧ザイール)のコンゴ(ザイール)川河口一帯を版図として繁栄したバントゥー系の王国。伝承によれば、14世紀ごろ東方からこの地に流入してきたニミ・ア・ルケニを首長とするバントゥー系の一族が先住民を征服して建国した。15世紀末、ポルトガル人が渡来する直前のこの国の最盛期には、マニコンゴとよばれる王が、50万平方キロメートルの版図に住む400万~500万人の住民を統治していたといわれる。コンゴ王国は、1482年この地に到来したポルトガルの遠征隊を通じて、ポルトガルと外交関係を結び、交易を行うとともに留学生を派遣した。しかし、奴隷貿易時代に入ると内乱が相次ぎ、18世紀初めまでには完全に滅亡した。
[原口武彦]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
… ポルトガル人に一時支配された東アフリカの海岸も,ポルトガルの後退後インド洋に進出したヨーロッパ勢力の関心がインドや東南アジアに向けられたため,17~18世紀には,オマーンのアラブ商人が再び活発に東アフリカに渡来するようになった。 ポルトガルの航海者は15世紀にヨーロッパ人としてはじめて先に述べたベニン王国や中部アフリカのコンゴ王国(現,コンゴ民主共和国海岸部)を訪れ,洗練された文化に驚嘆し,これらの国としばらくのあいだ交渉をもった。ポルトガルとの接触を通じてベニンには鉄砲,大量の銅製品が入り,後者は,それ以前から作られていた青銅,シンチュウの工芸品の製作をさらに発展させた。…
…現在,ピグミーは北東部のイトゥリの森林のほか,各地に分散して居住している。その後バントゥー族が侵入し,1482年にポルトガルの航海者がコンゴ河口に到着したとき,大西洋沿岸には数々の諸王国が存在していたが,なかでもコンゴ王国は最盛期を迎えていた。当時のコンゴ王国は大西洋岸からクワンゴ川まで,今日のアンゴラ北部,ザイール西部,コンゴ人民共和国南部にかけて,広い領域を支配した。…
※「コンゴ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
(1) 民事訴訟法上,通常の不服申立が認められていない決定,または命令に対して直接最高裁判所に提起する抗告。この制度は,最高裁判所の違憲審査権を保障しようとするものであるため,原裁判に憲法解釈上の誤り...
12/6 プログレッシブ英和中辞典(第5版)を追加
12/6 プログレッシブ和英中辞典(第4版)を追加
11/30 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/18 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新