アメリカの電気機械メーカーであるウェスティングハウス・エレクトリック社を創立した企業家,発明家で,交流技術の推進者として知られている。アメリカのニューヨーク州セントラル・ブリッジで生まれた。生家は農業機械を製造していた。ユニオン・カレッジに学んだあと,南北戦争で北軍に加わった。圧縮空気ブレーキを発明し1867年に特許をとり,69年にウェスティングハウス空気ブレーキ社を設立し,ピッツバーグに工場を建てた。鉄道ブレーキ,鉄道信号の製造に成功し,ヨーロッパ各国にも進出した。70年代からは重電機製造に力を入れ,86年にウェスティングハウス・エレクトリック社を設立した。当時,公共電力網に直流と交流のいずれを採用すべきかの論争があった。ウェスティングハウスは交流技術の将来性を見抜いた。彼は優れた技術者を迎える包容力があり,ゴラールL.Gaulard(1850-80)とギブズJ.D.Gibbsの特許を取得し,変圧器と配電のスタンリーW.Stanley(1858-1916),多相誘導電動機のN.テスラ,計器のシャレンバージャーO.Shallenburgerを傘下におさめて交流システムを開発した。
執筆者:高橋 雄造
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…本社ピッツバーグ。発明家G.ウェスティングハウスが,交流配電の将来性を予見して1886年1月に創立。エジソン社の直流方式に対抗して同年秋に最初の交流中央発電所をバッファローに設立し,交流の優位性を立証した。…
※「ウェスティングハウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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