日本大百科全書(ニッポニカ) 「発明」の意味・わかりやすい解説
発明
はつめい
科学や技術を発展させる一要素として「発見」とともに使われることばであるが、明確な定義はない。一般に発明とは、ある目的実践のために自然科学的知見や法則を利用して新しい方法や手段を創造することであり、人間的諸活動の発展の物質的基礎といえる。物質的な創造という点で、意識あるいは認識と関連する発見とは区別される。
今日、発明は特許制度という法体系のなかに位置づけられ、その所有者の諸権利が社会的に認められている。特許権の得られる発明とは、「自然法則を利用した技術的創作のうち高度のもの」であり、自然法則に反するものに特許権が与えられることはない。永久機関に関する特許が認められないのはそのためである。また産業上利用できること、新規性をもつことなどがその要件になっている。
古代人が石斧(せきふ)や弓矢などの道具を発明したように、そもそも人類は生産的実践の長い歴史のなかで、豊かな物質生産を目ざして、さまざまなものを発明してきた。しかし生産が奴隷によって担われていた古代ギリシア時代には、生産力と結び付くような発明は、ほとんどなされなかった。また軍事力による圧政の古代ローマ時代には、その発明の多くが戦争機械や軍事的意味をもつ土木技術に集中していたといえる。こうしてみると発明は、それへの社会的要求、目的、利用のされ方などによって、当該する時代の社会的・歴史的段階に規定されているといえる。
[高橋智子]
発明の源泉
発明は創造的なものである。とはいえ無からなにかを生み出すことではない。また発明家を天才や奇人のように描き、その発明の源泉を単なる個人のアイデアや能力のみに求めようとするのは間違いである。
蒸気機関の発明者ワットの場合、ルナ・ソサイアティの一員としてJ・プリーストリー、W・スモールといった当時の優れた科学者との交流なしにその活動を評価しえない。そしてボールトンからの経済的援助は、ワットの蒸気機関の原理を物在化するうえで不可欠であったことなどはよく知られた事実である。またエジソンの場合をはじめ、発明の優先権を争う特許訴訟の例は枚挙にいとまがない。
つまり、個人の名をもって語られる発明でも、それには多くの場合、厚みのある前史があり、また当該発明にかかわる類似の、あるいは近接する発明がみられる。さらに一つの発明といえども、さまざまなレベルでの協力者が存在するのである。
こうした歴史的事実からも、発明は、それまでの科学的知識や技術の進歩のうえに積み重ねられたものであり、「社会的、歴史的な過程」としてとらえられなければならない。
発明は、長い歴史的経過をとってみれば、当該の時代の社会的要求にこたえるものであるが、その所有者の社会的諸関係を反映し、世に出ない場合もおこりうる。反対に、ひとたび世に出た発明は生産力を増大させ、さらに新たな発明の礎石ともなる。また人類の物質的生活をいっそう豊かにする契機ともなる。
つまり、発明は、労働手段の体系ともいえる技術の発達の、主体的担い手による創造的な活動であるともいえる。
[高橋智子]
発明の影響
フランシス・ベーコンは、近代国家が成立する17世紀、科学的知識に基礎を置く発明が人類に富をもたらすであろうことを予見した。発見・発明を行うための研究所としてソロモン館を構想し、発明を生産技術と結び付け、富の生産と深くかかわることを示したその洞察は重要である。
1733年J・ケイの飛杼(とびひ)の発明が織布速度を倍加させ、これが契機になって紡績機と織機が相互に発展し、やがて繊維機械を駆動する蒸気機関、機械をつくる機械――工作機械の発明・改良を促し、産業革命を完成させたことは周知のことである。かくして産業革命以後、生産的実践から抽象された科学的知見を物在化させることが、生産力の増大をもたらすというベーコンの考えは現実のものとなった。この創造的活動としての発明はますます産業との結び付きを深め、社会的な存在になり、1883年、特許に関する国際的な同盟条約が締結されるに至ったのである。
資本主義が独占段階へと移行する19世紀末、企業はその内部に科学者・技術者を集めた研究所を設立し始める。それは科学や技術の進歩が、もはや個人的努力ではなしがたい段階に至ったことの表れであると同時に、発明が企業利益と結び付いた研究・開発になったことを示している。利潤優先のあまり、発明が一企業に集中し独占され、技術進歩がゆがんでしまう事態も生じている。発明は企業内研究所をはじめ公的研究機関、大学の研究室からも生み出されるが、その量的・質的な発展と時間の短縮は多額な費用と組織を必要とするに至っている。この意味で企業の優位性は否定できない。
また軍事的性格を帯びた国家主導の研究・開発から生み出される兵器とその体系の創造は、発明の本来もっている意義・役割とは相いれないものである。同じ「発明」とはいえ、自己否定的で公開されることのない創造を許すことは、本来の発明をも枯渇に導きかねない。人類が健康的で文化的でより豊かに発展するためにも、発明を生み出す社会のあり方を展望することがますます必要になっている。
[高橋智子]