ウィリアムソン(英語表記)Williamson, Oliver E.

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィリアムソン」の意味・わかりやすい解説

ウィリアムソン
Williamson, Oliver E.

[生]1932.9.27. ウィスコンシン,スペリオル
[没]2020.5.21. カリフォルニア,オークランド
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Oliver Eaton Williamson。1955年マサチューセッツ工科大学 MITスローン経営大学院で経営学の学士号,1960年スタンフォード大学で経営学の修士号,1963年ピッツバーグのカーネギー・メロン大学で経済学の博士号を取得。1963~65年カリフォルニア大学バークリー校で助教,ペンシルバニア大学に移って 1965~68年准教授,1968~83年教授を務めた。1983~88年エール大学でゴードン・B.ツイーディ記念法学・組織学教授,以降カリフォルニア大学バークリー校で大学院教授,1998年には同大学ハース・ビジネススクールのエドガー・F.カイザー記念ビジネス・経済学・法学教授を兼任し,2004年名誉教授。教職のかたわら,1964~66年ランド研究所,1967~69年アメリカ司法省,1976~77年国立科学財団,1978~80年連邦取引委員会などさまざまな機関で顧問を務めた。2009年,企業の紛争解決において経済システムや階層的組織が市場の外でどのように機能するのかといった,経済統治の分野の研究が認められ,エリノア・オストロムともにノーベル経済学賞(→ノーベル賞)を受賞した。また自身の研究を通じて,新制度派経済学 new institutional economicsと呼ばれる新しい経済思想を生み出したことが評価された。著書に"The Economic Institutions of Capitalism: Firms, Markets, Relational Contracting"(1985),"The Mechanisms of Governance"(1996)などがある。

ウィリアムソン
Williamson, Alexander William

[生]1824.5.1. ロンドン
[没]1904.5.6. サリー,ハインドヘッド
イギリスの化学者。ドイツ,ハイデルベルク大学で L.グメーリーン,ギーセン大学で J.リービヒに学ぶ。 1849年以降ロンドン大学で教鞭をとり,55年化学教授。 50年アルコールエーテル分子構造の関係を明らかにし,可逆反応,化学平衡機構を解明した。またアルコールからエーテルを生成する際の中間生成物の生成機構および触媒 (硫酸) の働きを明らかにした。また種々のエーテル混合体を得るウィリアムソン合成を開発した。留学生の指導などで明治期の日本の化学の道歩にも貢献した。

ウィリアムソン
Williamson, Henry

[生]1895.12.1. ドーセット
[没]1977.8.13.
イギリスの作家。好んで田園風物を描く。動物物語『かわうそタルカ』 Tarka the Otter (1927) でホーソンデン賞を受けた。

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化学辞典 第2版 「ウィリアムソン」の解説

ウィリアムソン
ウィリアムソン
Williamson, Alexander

イギリスの有機化学者.ロンドンに生まれる.化学をハイデルベルク大学でL. Gmelin(グメリン)に,ギーセン大学でJ. Liebig(リービッヒ)に学び,パリでA. Comteに数学を学んだ.帰国して,1849年ロンドンのユニバーシティ・カレッジの実験化学教授となった.1855年T. Graham(グラハム)を継いで化学教授となり,1888年までその任にあった.型の理論で水型の概念を提唱し,ヨウ化メチルとカリウムエチラートとからエチルメチルエーテルを,ヨウ化メチルとカリウムメチラートとからジメチルエーテルを合成して (ウィリアムソン合成),エーテルとアルコール分子との間の関係を解明し,有機構造論成立に貢献した.ロンドン化学会会長を二度(1863年,1869年)にわたって務めるなど,19世紀イギリス化学界の中心人物の一人である.1863年長州藩の伊藤博文,井上勝ほか3名,1865年薩摩藩の森有礼ほか16名が渡英したとき,かれらの世話をした.東京大学に化学教師としてR.W. Atkinson(アトキンソン)を推薦し,桜井錠二を留学生として迎えるなど,日本とは関係が深い.

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィリアムソン」の意味・わかりやすい解説

ウィリアムソン
Alexander William Williamson
生没年:1824-1904

イギリスの有機化学者。ロンドン生れ。右目が見えず,かつ左手が不自由であったが,ハイデルベルク大学で医学,ギーセン大学で化学を学び,パリで自分の研究室をつくって化学者たちと交わり(1846-49),のちロンドン大学教授(1849-87)。《エーテル生成の理論》(1850),《塩の構成》(1851)において,アルコールとエーテルの構造関係を明らかにし,両者が基本的に酸素原子を中心にして両側にアルキル基や水素原子をもつ水型の分子構造をもつという〈水型説〉を提唱することによって,分子構造論の先駆的役割を果たした。日本に対する貢献が大きく,幕末には伊藤博文らを寄泊させ,明治初期にはR.W.アトキンソンを東大理学部の化学御雇教師として日本へ派遣したり,留学生桜井錠二の化学の指導を行った。
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図書館情報学用語辞典 第5版 「ウィリアムソン」の解説

ウィリアムソン

1877-1965.米国において図書館学教育を大学におけるプロフェッショナルスクールで実施する制度を提唱し,その確立に寄与した.経済学で学位を取得し,ブリンモア大学で経済学を教えた後,1911年以後ニューヨーク公共図書館において経済学・社会学部門の主任やニューヨーク市政図書室の館長を歴任した.その間カーネギー教育振興財団(Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching)の要請により1923年に提出したのが『ウィリアムソンレポート』(Training for Library Services)である.この報告書に基づいて1926年にコロンビア大学に図書館サービス大学院が創設され,彼はその学科長として大学に基盤を置く図書館員養成の道を開いた.

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ウィリアムソン」の解説

ウィリアムソン

1931年シドニー生まれ。11歳でシドニー音楽院に入学。ピアノとフレンチホルンを学び、また作曲をユージン・グーセンスに師事する。1944年に音楽学士号を得て卒業。1950年にロンドンに移住し、新ウィー ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内のウィリアムソンの言及

【ウィリアムソン反応】より

…ハロゲン化アルキルまたはジアルキル硫酸によってアルコキシドまたはフェノキシドをアルキル化してエーテル類を合成する反応。 RONa+R’X―→ROR’+NaX C6H5ONa+R2SO4 ―→C6H5OR+NaRSO41852年,イギリスのA.W.ウィリアムソンによって発見された反応で,エーテル類の簡便な好収率の反応として知られている。【友田 修司】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」