日本大百科全書(ニッポニカ) 「触媒」の意味・わかりやすい解説
触媒
しょくばい
catalyst
catalyser
ある物質が少量存在することにより化学反応の速度は加速されるが、その物質自体は反応後もそのままに保たれるものをいう。たとえば、高温で窒素と水素とが反応してアンモニアができる場合に、鉄の粉末を置いておくと反応の速度がずっと速くなる。しかし鉄自体は変化を受けずに残る。また酢酸メチルの水溶液に塩酸などの酸を加えると、その水素イオンH+により、酢酸とメタノール(メチルアルコール)への加水分解が促進される。しかし、H+そのものは変化せずに加えた量だけ残る。これらの場合、鉄やH+は触媒であり、このような働きを触媒作用、触媒によって引き起こされる反応を触媒反応という。しかし、場合によっては触媒は完全には保存されず、失われることもあるが、この量が反応したものの量に比べてずっと小さいときには、やはり触媒として取り扱う。
[戸田源治郎]
触媒研究の歴史
触媒作用の研究は、1836年スウェーデンの化学者であるベルツェリウスがその作用に注目し、1901年にドイツのF・W・オストワルトが触媒の定義を与えたときからいままでに、多くの研究者によって続けられてきた。触媒の語は、ギリシア語で「結び目などを解く」を意味するkatalysisから、ベルツェリウスによって命名された。
20世紀の初めには工業用として実用化できる活性なアンモニア合成用触媒をみいだすために、試行錯誤によりながら約2万種もの触媒を次々につくって活性を試験し、現在の鉄‐酸化カリウム‐酸化アルミニウム系の触媒に到達したといわれている。現在では、いままでに積み重ねられてきた経験を基に、最適な触媒を探し出しているが、まだある程度の試行錯誤は必要である(しかし、またこれをもとに複合機能をもった触媒も開発されてきた)。また触媒作用の本性を明らかにするために、いままでに得られた実験の結果をまとめ、それから経験則を引き出し、これをもとにして触媒作用についての仮説をたてるということが行われてきている。この場合の経験則としては、触媒活性と電子状態との関係(金属、酸化物および金属錯体の触媒について)、反応に関与する物質の化学吸着能の大小に対する各種金属の序列、触媒活性と触媒表面の幾何学的構造との関係などが知られている。
[戸田源治郎]
均一触媒反応
反応の機構として、たとえば、前に述べた酢酸メチルの加水分解では、反応物も触媒も同じ一つの溶液相中にあるから均一触媒反応という。
のように反応にH+が加わり、最後にはH+が再生されると考えられている。このほか、水酸化物イオンOH-が触媒として働く反応もあり、これらをまとめて酸塩基触媒反応という。[戸田源治郎]
不均一触媒反応
反応物が気体または液体、触媒が固体の場合で、実際に化学工業、各種装置、あるいは研究室で使われる触媒反応の大部分はこれである。アンモニア合成反応の場合、反応する窒素と水素は気体、触媒の鉄は固体であるから、異なった相の間の触媒反応なので、このような系でおこる触媒反応を不均一触媒反応という。反応の種類としては、酸化、水素化、異性化、重合、クラッキングなどがある。またそれに使われる触媒も、金属、金属酸化物、金属の各種の塩、錯体など多岐にわたる。その一例を に示す。同じ反応物でも使用する触媒、さらに反応条件により異なった生成物を与える。すなわち触媒は選択性をもつ。エタノールの例を に示す。また、いろいろな酵素は、それぞれ1種類の反応のみを促進するのできわめて選択性の高い触媒ということができる。
不均一触媒反応は、触媒と反応物とが接する場所、すなわち触媒の表面上で進行する。したがって触媒の有効さ、活性は、触媒の表面積の大きさと単位表面積当りの活性(比活性)に依存する。触媒の表面積を増すためには、触媒を細かく砕くか、多孔質のものにするか、あるいは各種の担体(支持物)の上に微粒子としてのせるかなど、いろいろな方法がとられている。
[戸田源治郎]
不均一触媒作用の機構
触媒の働きは、熱力学的に不可能な反応を進ませるのではなく、可能な反応の速度を増加させるだけである。その加速の過程を活性化エネルギーという)だけのエネルギーが供給されると、初めてエネルギーの極大(活性化状態)を超えて右側のCに変化することができる。この反応の速さは、全体のA+Bのうち、この極大を乗り越えて進むA+Bの割合(これはe-E/RTに比例する)によって決まる。(2)ではA(またはB)が触媒Kと結合してAK(またはBK)ができ、これにさらにB(またはA)が反応してABKの活性化状態(活性錯合体)(AB)*Kを生成し、ついで生成物Cができ、触媒Kが再生する。この過程でのエネルギー極大(E′)は、Eに比べてはるかに小さいから、反応の速さは非常に大きくなる。このように触媒は、活性化エネルギーを低下させる役割をする。
に示す。例として、A+B―→Cの反応の場合、(1)触媒のないときと、(2)触媒のあるときの反応進行に伴う系のエネルギー変化を示す。(1)では左側のA+Bの系に外からなんらかの方法(加熱など)でE(また、触媒は反応の速さを、正方向にも、また逆方向にも同じ倍率だけ増加させる。
[戸田源治郎]
助触媒と触媒毒
触媒の比活性は、触媒として働く金属や金属酸化物などに固有のものではあるが、またこれにほかの金属や金属酸化物(それら自体は活性をもたない)を添加すると、活性が大幅に改善されることがある。この添加物を助触媒または促進剤という。アンモニア合成鉄触媒には、助触媒として酸化カリウムや酸化アルミニウムが使われる。触媒作用は反応系中に、ある種の微量不純物が存在すると、活性が低下するかまたは失われる。このようなものを触媒毒、この現象を被毒という。いったん被毒した触媒は、この毒を反応系から取り去ることでその活性が回復する場合(一時被毒)と、回復しない場合(永久被毒)とがある。
[戸田源治郎]
不均一触媒反応の具体例
の反応例のうちプロピレンからアクリロニトリルをつくる反応以下は、第二次世界大戦後、大発展した石油精製(脱硫を含む)、石油化学工業に関するものである。
[戸田源治郎]
石油精製と触媒
原油は蒸留(常圧下または減圧下)によって軽質留分から重質留分へと各留分に分別される。そのうちガソリン留分はそれほど多くないので、重質留分を接触分解反応により軽質留分に変える。これには固体酸触媒が有効で、希土類でイオン交換したゼオライトが用いられる。また、高オクタン価の炭化水素をつくるためには、軽質ナフサ留分をPt-X/Al2O3-Cl-(XはGe、Sn、Pb、Re、Ir)触媒により異性化させる。燃料油の重油中には、硫黄(いおう)を含む化合物が存在し、これを除去するためにアルミナ担持モリブデン、コバルト系触媒を使った水素化脱硫が行われる。この技術が確立されたことにより硫黄酸化物による大気汚染が非常に減少した。
[戸田源治郎]
石油化学工業と触媒
合成繊維、プラスチック、合成ゴムなどの合成高分子からつくられた製品は、われわれの身近に数多い。それらのほとんどは石油化学製品で、石油ナフサ留分の高温熱分解、接触分解で生成したエチレン、プロピレン、ブタジエン、分解油などを原料としている。その製造段階には、いずれも触媒が使われているが、そのなかでもっとも画期的な触媒は、ドイツのK・ツィーグラーが発見した立体規則的オレフィン重合用のものである。
[戸田源治郎]
拡大する触媒の重要性
前節に述べたのは、触媒の化学工業に果たす役割の一例であるが、近年ますますその領域を広げている。その背景には環境問題があり、たとえば大気汚染などがそうである。大気汚染には硫黄酸化物のほかに自動車の排ガス中などに含まれる窒素酸化物が関与するが、これを除去するためにコージェライト担体上に活性アルミナ‐白金‐パラジウム(またはロジウム)を含む触媒が開発された。また工場などから排出される窒素酸化物は、酸化チタン担持酸化バナジウム触媒などを用いてアンモニアと反応させて窒素と水に変えている。これらの研究・開発で蓄積された知識は、他の分野にも応用され、脱臭、各種センサーなどにも利用されている。
このほかにも、太陽熱の高効率利用を目ざした光触媒や、石炭のガス化、液化などに用いる酸化触媒の開発など、エネルギー問題にも触媒は深く関係している。
[戸田源治郎]
『斯波忠夫他著『触媒化学概論』(1968・共立出版)』▽『触媒工業協会編『触媒の話』改訂版(2000・化学工業日報社)』▽『小野嘉夫・御園生誠・諸岡良彦編『触媒の事典』(2000・朝倉書店)』▽『化学工学会監修、西村陽一・高橋武重著『工業触媒――技術革新を生む触媒』(2002・培風館)』▽『上松敬禧・中村潤児他著『触媒化学』(2004・朝倉書店)』▽『「触媒活用大事典」編集委員会編『触媒活用大事典』(2004・工業調査会)』▽『日本化学会編『実験化学講座25 触媒化学、電気化学』第5版(2006・丸善)』