アウアー

百科事典マイペディア 「アウアー」の意味・わかりやすい解説

アウアー

ハンガリー生れのバイオリン奏者,教師。アウエルとも。1861年−1863年ハノーファーヨアヒム師事デュッセルドルフハンブルク管弦楽団のコンサートマスターを務めたのち,1868年ビエニアフスキ後任としてペテルブルグ音楽院教授に就任。ロシア革命後渡米し,ニューヨークカーティス音楽院で教育活動を続ける。ジンバリストエルマンハイフェッツミルスタインなど20世紀バイオリン界の多くの名手を育てた。グラズノフの《バイオリン協奏曲》の初演者としても知られる。
→関連項目コーガンスターン

アウアー

ウェルスバハとも呼ばれる。オーストリアの無機化学者。ウィーン生れ。ハイデルベルク大学でブンゼンに学び,希土類元素酸化物研究。1885年プラセオジムとネオジム,1907年ルテチウムを発見。またガスマントル(アウアー灯),オスミウム白熱電灯,アウアー合金発火合金)の発明者として知られる。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「アウアー」の意味・わかりやすい解説

アウアー
Leopold von Auer
生没年:1845-1930

ハンガリー生れのバイオリン奏者,教育者。ブダペスト,ウィーンで学んだ後,ハノーファーでヨアヒムに就く。1868年ビエニアフスキの後任としてペテルブルグ音楽院教授,同時にロシア帝室音楽協会を主宰チャイコフスキー(《憂鬱なるセレナーデ》),グラズノフらが彼に曲を献呈している。奏法の著書を残し,門下からはE.ジンバリスト,M.エルマン,J.ハイフェッツらの名手を生んだ。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アウアー」の意味・わかりやすい解説

アウアー
Auer, Leopold

[生]1845.6.7. ベスプレム
[没]1930.7.15. ドレスデン,ロシュウィッツ
ハンガリーのバイオリニスト,教育者。ブダペスト,ウィーンで学んだのち,ハノーバーで J.ヨアヒムに師事。 1863年ジュッセルドルフ,66年ハンブルクの管弦楽団でコンサートマスターをつとめたのち,68年,宮廷独奏者,音楽院教授としてペテルブルグに招かれ,同年よりロシア王室音楽協会を主宰。貴族に列せられたが職を辞し,ドレスデン,さらにニューヨークに移り教師生活をおくった。 M.エルマン,J.ハイフェッツ,E.ジンバリスト,N.ミルシテインらの高弟を生んだ偉大な教育者。奏法に関する著書,バイオリンのための小曲が残されている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アウアー」の意味・わかりやすい解説

アウアー
あうあー
Leopold Auer
(1845―1930)

ハンガリーのバイオリン奏者、教師。エルマン、ジンバリスト、ハイフェッツ、ミルスタインの師として知られる。ペスト(ブダペスト)、ウィーンの音楽院で学び、のちヨアヒムに師事。1868年以来ロシアでバイオリニスト、指揮者、教師として活躍。その功績により、1895年ロシアの世襲貴族となる。晩年はニューヨークに住み後進の指導にあたった。

[岩井宏之]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例