黒川庄(読み)くろがわのしよう

日本歴史地名大系 「黒川庄」の解説

黒川庄
くろがわのしよう

生野町北東隅の山間部黒川付近にあった庄園。「新井・黒川」と、関係史料はすべて新井にい(現朝来町)と併称されている。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「新井・黒川保」と記され、当時は国衙領であった。地頭は柏原左衛門二郎。面積は新井・黒川で一七町、内訳は常荒流失一町四反一〇〇歩、仏神田二町七反、人給三町八反一一〇歩、定田九町八〇歩。建武四年(一三三七)までに地頭職は安満三郎左衛門尉に代わっており、その跡職が同年一一月一七日、足利尊氏から京都一条大宮の新善光いちじようおおみやのしんぜんこう寺に、若狭国武成名の替えとして寄進されている(新善光寺文書)。次いで暦応二年(一三三九)一二月一七日付で新善光寺には新井・黒川の替えとして丹波国志和賀しわが(現京都府日吉町)地頭職が寄進されており、この日までに新井・黒川地頭職は新善光寺の知行を離れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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