国衙領(読み)こくがりょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国衙領」の意味・わかりやすい解説

国衙領
こくがりょう

11世紀ごろから荘園制(しょうえんせい)社会となって、荘園が各地で増加する一方、特定の荘園領主をもたない公領もかなり残存していた。これを国衙領という。国衙領は11世紀40年代以降、郡、郷、保(ほ)、村、名(みょう)などの諸所領から構成されるようになるが、もはや律令制(りつりょうせい)下の郡―郷組織のような統一的組織ではなく、国衙(諸国の政庁)と郡、郷、保など諸所領との結び付きは、国あるいは同じ国内でも郡によって異なった。このような多様なあり方を示すようになるのは、在地領主や住人らを中心とする共同体からなる所領が形成されてくる形態が地域によって多様であったからと考えられる。国の下に郡が基本単位となってその内部に村や郷が含まれるものや、旧来からの郷が国に直結するものもあった。保は、その領域から出す官物(かんもつ)あるいは雑役(ぞうやく)のいずれかを特定の給主に納めるが、国衙の支配が行われる限りでは国衙領であった。国衙領の諸所領はいずれも、荘園領主を仰ぐようになって官物、雑役を荘園領主に納める関係になれば、即座に荘園となるもので、国衙領の所領も、荘園も、質的な相違はなかった。

[坂本賞三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国衙領」の意味・わかりやすい解説

国衙領
こくがりょう

平安時代後期以後,私領である荘園に対して,国衙すなわち国司の直接支配下にある土地をいう。古くは,国司が管理していた公田をさした。一方,班田収授法を中心とする土地公有制度は,9~10世紀には早くも行きづまり,『墾田永世私財法』によって荘園化の道をたどった。公田もこの荘園制発展の影響を受けて,国司自身の私領となり,ついには荘園と本質的にはまったく同じものとなった。これが国衙領である。国衙領における租税徴収なども,荘園と同様に,名主に対して,名田の広さに応じて賦課するという土地を対象とする賦課が,人身賦課に代ってとられた。受領と呼ばれる国司が,この国衙領を私有することによって,財政的基礎を獲得し,院の側近集団を形成して,院政の重要なにない手となった。この国衙領も,鎌倉時代末期以降はその大部分が,皇室領寺社領となって,荘園とまったく同質のものとなっていった。

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百科事典マイペディア 「国衙領」の意味・わかりやすい解説

国衙領【こくがりょう】

国衙の支配下にある土地,荘園に対し公領(公田)・国領とも。律令制口分田(くぶんでん)・公田が,荘園制の発展の影響を受け国衙の私領化したもの。国司が公田数を検田帳や国図によって把握し,田堵(たと)に請け作させ租税ほかを徴収した。平安末期ころには荘園・公領両属の状態による紛争が多く見られる。この後荘園・公領分立の体制(荘園公領制)ができるが,中世の公領(郡・郷・保・別名など)の総面積は荘園に匹敵し,支配体制も荘園に類似した構造に再編成された。鎌倉末期,多くは寺社領や皇室領となり,荘園同様に守護地頭に押領・支配されていった。→国衙・国府
→関連項目一国平均役今須榎坂郷関東御領皇室領小東荘守護請太良荘富田荘宮川荘

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旺文社日本史事典 三訂版 「国衙領」の解説

国衙領
こくがりょう

平安後期以降,国衙の支配下にあった土地
公領ともいい,私領である荘園に対していう。本来は公田であったが,荘園の増加とともに公領内部にも成長していた田堵 (たと) ・名主 (みようしゆ) らによりしだいに私有地化していった。これに対し国司は荘園と同じように人身賦課から土地を対象とする賦課に切り換え,中央政府には一定の租税を納めるだけになった。

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精選版 日本国語大辞典 「国衙領」の意味・読み・例文・類語

こくが‐りょう ‥リャウ【国衙領】

〘名〙 国衙の支配下にある土地。国衙が租を徴収する田地。平安時代以来、荘園の増大に伴って公領(国衙領)は相対的に減少し、荘園の不入の傾向が強くなると公領としての性質が明確に意識されるようになった。荘園と対応する語。国衙。国衙分。国領。公領。

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世界大百科事典 第2版 「国衙領」の意味・わかりやすい解説

こくがりょう【国衙領】

中世において,荘園とならず諸国の国衙が支配した公領。国領とも称した。律令制の口分田(くぶんでん)・公田をその前身とし,平安時代10世紀の国制改革を経て成立した王朝国家体制下の公田に始まる。その支配方式は,国司が国内郡郷の公田数を検田帳や国図によって把握し,〈(みよう)〉を単位として負名あるいは田堵(たと)と呼ばれる大小の経営者に公田の耕作を請け負わせ,〈名〉の田数に応じて租税官物,諸雑事等を賦課し,これを徴収することを基本とした。

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デジタル大辞泉 「国衙領」の意味・読み・例文・類語

こくが‐りょう〔‐リヤウ〕【国×衙領】

平安後期以後、国衙の支配下にあった土地。国領。国衙。

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世界大百科事典内の国衙領の言及

【守護領国制】より

…室町幕府の地方行政官であった守護が付与された諸権限をてこにして任国を領国化していく事態は,具体的には国内の在地領主,荘園,国衙(領)の3者との関係において論じられた。まず領主層を服属させて直属家臣団を形成すること,次に中央所課段銭の徴収等を通して家臣を荘園に入部させ,荘園を守護請し,徐々に荘園領主権を後退させて自己の支配基盤に転化していくこと,また国衙在庁の被官化や国衙目代職の進退権を獲得して国衙機構を掌握するとともに国衙領を守護請すること,などである。ところがその後の研究史は,守護の荘園領主に近似する性格を指摘し,それに対して国人領主の荘園に対する独自の支配権確立への志向を強調し,守護領国内における支配権力の二重構造的性格を提示した。…

【本所法】より

…私的大土地所有としての荘園の所有者を,公法的主体の観点から本所と称する。国衙領として開発された場合も,独立単位で個別的に所有の対象となる保,土地の支配を基点とする荘園とは異なり,人の支配,人間集団の奉仕を基点として成立した御厨(みくりや)なども,私的大土地所有という面では荘園と同様にみてよい。中世ではこのような私有地には複数の権利が職(しき)として重層し,一つの荘園に本家職,領家職,預所職等が重なるが,荘園の実質的領有権である荘務権を有する者を本所と呼ぶべきであろう。…

※「国衙領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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