高度成長政策(読み)こうどせいちょうせいさく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高度成長政策」の意味・わかりやすい解説

高度成長政策
こうどせいちょうせいさく

1950年代後半以降の経済政策のことで、重化学工業の発展とそれに伴う独占の強化を基調とする。日本経済は1955年(昭和30)に戦前水準を回復し、翌年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言したが、企業が本格的に投資活動を行うようになったのは池田勇人(はやと)内閣の「国民所得倍増計画」が発表された1960年以降のことであった。

 1960年代を通じ、経済成長率は年率10%台を維持し、1968年にはアメリカに次ぐ自由世界第2位の国民総生産をあげるに至ったが、この発展を支えたものは世界経済の拡大と政府の経済政策であった。これは具体的には、財政投融資の拡大、工業立地条件の改変、低賃金維持、農業の「構造改善」による労働力の創出、などがあげられる。しかしこの政策は、一方公害多発、生活環境の破壊、農業の荒廃過密過疎、物価上昇などさまざまの社会問題を引き起こし、73年のオイル・ショックをきっかけとして転換を余儀なくされた。

伊藤 悟]

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旺文社日本史事典 三訂版 「高度成長政策」の解説

高度成長政策
こうどせいちょうせいさく

国民所得増加,産業規模の拡大を目的とする国民総生産増大策
1960年池田勇人 (はやと) 内閣は,所得倍増計画を中心に '64年の貿易自由化オリンピックをめざし生産の拡大をはかり,以後日本経済の成長率は毎年10%をこえた。'64年11月の佐藤栄作内閣はこれを引き継ぎ,公債発行により財政投融資を増加させるという経済成長策を続けた。その結果,日本経済と国民生活の繁栄の効果をあげたが,一方,各種の公害と物価騰貴をもたらし,'73年の石油ショック以降,大きく動揺し,政策転換を迫られることとなった。

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