高安月郊(読み)タカヤスゲッコウ

デジタル大辞泉 「高安月郊」の意味・読み・例文・類語

たかやす‐げっこう〔‐ゲツカウ〕【高安月郊】

[1869~1944]詩人劇作家評論家大阪の生まれ。本名三郎詩作のかたわら、イプセン作品などを翻訳紹介。また、新歌舞伎発表。詩集「夜濤集」、戯曲江戸城明渡」「桜時雨」、評論東西文学比較評論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「高安月郊」の意味・読み・例文・類語

たかやす‐げっこう【高安月郊】

詩人、劇作家。本名三郎。大阪出身。史詩を多く発表したが、本領は戯曲にあり、演劇改良に尽力した。イプセンの翻訳、紹介にも功績がある。戯曲「桜時雨」、評論「東西文学比較評論」など。明治二~昭和一九年(一八六九‐一九四四

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高安月郊」の意味・わかりやすい解説

高安月郊
たかやすげっこう

[生]明治2(1869).2.16. 大阪
[没]1944.2.26. 東京
劇作家,詩人。本名,三郎。家業医学を修めるために上京したが,文学に転じ,1896年チョボ,合方を全廃した戯曲『重盛』を刊行,以後歴史物戯曲に取組み,シェークスピアの『リア王』の翻案『闇と光』 (1902) を経て,出世作『江戸城明渡』 (03) を完成。一方,93年頃から取組んでいたイプセン劇の翻訳に評伝を添え『イプセン作社会劇』 (01) として刊行,近代演劇界に先駆的役割を果した。ほかに戯曲『桜時雨 (しぐれ) 』 (05) ,評論『東西文学比較評論』 (16) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高安月郊」の意味・わかりやすい解説

高安月郊
たかやすげっこう
(1869―1944)

詩人、劇作家、評論家。本名三郎。大阪生まれ。父が医師で医学を志して上京したが、文学に転じ、1891年(明治24)劇詩風小説『天無情』を発表。イプセンやドストエフスキーの翻訳を続けた。96年戯曲『重盛(しげもり)』で劇作家としてデビュー、『江戸城明渡(あけわたし)』(1903)、『桜時雨(しぐれ)』(1905)などで、新作歌舞伎(かぶき)作家として地位を固めた。その一方、『かぐや姫』など新舞踊、また詩、文芸評論などを発表、明治末から大正期にかけて劇界、文学界のリーダーとして活躍した。

[水落 潔]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高安月郊」の解説

高安月郊 たかやす-げっこう

1869-1944 明治-昭和時代前期の詩人,劇作家。
明治2年2月16日生まれ。医学をこころざして上京したが,詩や小説の創作をはじめ,明治24年劇詩「天無情」を出版。イプセンをはじめて日本に紹介。29年戯曲「重盛」を発表し,以後新歌舞伎の発展につくした。昭和19年2月26日死去。76歳。大阪出身。本名は三郎。別号に愁風吟客。戯曲に「江戸城明渡」「桜時雨」など。

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世界大百科事典(旧版)内の高安月郊の言及

【新歌舞伎】より

…94年逍遥の《桐一葉》の《早稲田文学》への発表がそれであり,次いで99年松葉の《悪源太》,1904年前記《桐一葉》の舞台化が幕明けとなる。この《桐一葉》への賛辞が劇文学者輩出の機運を高め,高安月郊(1869‐1944。《江戸城明渡》《桜時雨》など),山崎紫紅(1875‐1939),岡鬼太郎岡本綺堂らの多くの作品が登場する。…

※「高安月郊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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