髀肉の嘆(読み)ヒニクノタン

デジタル大辞泉 「髀肉の嘆」の意味・読み・例文・類語

髀肉ひにくたん

《「蜀志」先主伝・注から》功名を立てたり手腕を発揮したりする機会のないのを嘆くこと。しょく劉備りゅうびが、平穏な日々が続き、馬に乗って戦場に行くことがなかったため、内ももの肉が肥え太ってしまったのを嘆いたという故事による。

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精選版 日本国語大辞典 「髀肉の嘆」の意味・読み・例文・類語

ひにく【髀肉】 の 嘆(たん)

(中国三国時代、蜀の劉備が馬に乗って戦場を駆けめぐることが長い間ないため、股(もも)の肉が肥え太ったことを嘆いたという「蜀志‐先主伝」の注に引く「九州春秋」の故事から) 功名を立てたり、手腕を発揮したりする機会がなくて、むなしく時を過ごすのを嘆くこと。
※伊藤特派全権大使復命書附属書類(1885)天津談判「常に脾肉の歎を抱く者数ふるに遑あらず」

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故事成語を知る辞典 「髀肉の嘆」の解説

髀肉の嘆

技量や手腕を発揮する機会がなく、時がむなしく過ぎていくのを嘆くこと。

[使用例] 人民は数十年の戦争に慣いて太平の静なるに堪えず。老将勇士皆髀肉の生ずるを歎せざるものなし[福沢諭吉*西洋事情|1866~70]

[使用例] 伊達の将兵達は〈略〉髀肉の嘆にたえない思がした[中山義秀信夫の鷹|1948]

[由来] 「三国志しょく書・先主伝」の注に引用された「九州春秋」に見える話から。三世紀の初め、かん王朝が衰退し、各地に豪族たちが割拠していたころ。りゅうは、曹操そうそうと戦って敗れ、りゅうひょうという豪族のもとに身を寄せていました。ある日、劉表と同席していた劉備が、かわやへと立った折にふと自分の太ももに目をやると、余分な肉がついています。そのあと、席に戻った彼の目には、涙が光っていました。そのわけを聞かれた劉備は、「このごろは馬に乗って戦場を駆け巡ることがなくなって、『に肉しょうず(太ももに余分な肉が付いてしまいました)』。年月はどんどん流れていくのに、功名がいっこうに立たないのが、悲しいのです」と答えたということです。

[解説] ❶これは、劉備が四〇歳ごろのエピソード。二〇代の半ばで反乱軍の討伐に名乗りを上げてから、十数年が過ぎていました。後に、蜀(現在の四川省)を根拠地にして皇帝の座につく劉備も、このときは流浪の身。ライバル曹操は、中国北部に覇を唱えつつあります。このまま終わりたくはないという焦りが、手に取るように伝わってきます。❷現在では、単に「技量や手腕を発揮する機会がない」ことを嘆く場合にも、よく使われます。❸「髀」を「脾」と書いても、意味は同じです。

〔異形〕髀裏肉を生ず。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「髀肉の嘆」の意味・わかりやすい解説

髀肉の嘆
ひにくのたん

功名をたてる機会に恵まれないことの嘆き。久しく無事平穏な日が続いたため、戦場で馬を乗り回すことがなかったので、髀に肉がついてしまったとの意で、「髀肉の嘆を託(かこ)つ」などと用いられる。『三国志』「蜀志(しょくし)」に、「劉備曰(りゅうびいわく)、常時身鞍(くら)を離れず、髀肉皆消ゆ、今復騎せず、髀裏に肉生ず、日月流るるが如(ごと)し、老の将に至らんとす、功業建たず、是(これ)を以(もっ)て悲しむのみ」とある。

[田所義行]

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