顔氏家訓
がんしかくん
中国、南北朝時代の学者顔之推(がんしすい)が、子孫への戒めとして記した家訓で、2巻20編からなる。顔之推は、梁(りょう)・北斉(ほくせい)・北周・隋(ずい)と4朝に仕えた人であったが、この本は晩年、隋代に書かれたものとされている。主として儒家的立場から、身の立て方、家の治め方、世の処し方などが述べられているが、なかには「帰心篇(へん)」などのように、仏教的なものを導入している部分もあり、また、文字や典故を考証した部分もある。それゆえ、清(しん)の『四庫全書総目提要』以来、雑家の書物として扱われるようになった。そのなかには「文章篇」のように、文学論を展開させる部分もある。要するところ、7世紀初頭の文化、文明についての批評書で、その意味において注目される。
[鈴木修次]
『宇野精一・鈴木由次郎訳・編『顔氏家訓』(1982・明徳出版社・中国古典新書)』
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顔氏家訓
がんしかくん
Yan-shi jia-xun
中国,六朝末の家訓書。顔之推 (がんしすい) の著。7巻。開皇 20 (600) 年頃成立。著者が子弟に与えるという形で述べた処世訓の書。宗教,学問,文学,言語,風俗,社会,経済にいたるさまざまな事柄についての貴族として必要な処世訓が,興亡の激しい六朝末期に,4代の王朝に仕えながら身をまっとうした著者の体験に基づいて,きわめて具体的に堅苦しくなく述べられている。いかなる乱世にも耐える保身の場を,平穏質朴な家庭の維持のうちに見出す生活哲学の書で,また当時の貴族の家庭生活,社会の様子などを知る貴重な資料。
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顔氏家訓
がんしかくん
顔之推 (がんしすい) が子孫に与えた教訓書
7巻。之推は梁 (りよう) ・北斉・北周・隋に仕え,また南北朝の貴族生活をともに知っていたので,江南貴族の華美を戒め,北朝貴族の堅実な生活・道徳・交際・教養を子孫に書き残した。
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がんしかくん【顔氏家訓】
中国の家訓の書。二巻二〇編。六朝時代末の顔之推
(がんしすい)著。保身の場を平穏で質朴な家族生活の中に求める立場から、広く政治、学問、
思想、風俗などについての
見解を示したもの。
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デジタル大辞泉
「顔氏家訓」の意味・読み・例文・類語
がんしかくん【顔氏家訓】
中国の家訓書。2巻20編。顔之推が、子孫への戒めとして記したもの。儒家思想・仏教思想をまじえ、官界で生きていくための教訓などを残す。家訓書の祖となった。
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がんしかくん【顔氏家訓 Yán shì jiā xùn】
中国,6世紀の顔之推の著。20編から成る。著者のゆたかな人生経験に裏うちされたこの書物は,たんに一家内の子弟たちを訓戒することばに終始するだけでなく,六朝時代における江南と華北両社会の家庭生活,風俗,儀礼,学術,宗教など,多方面にわたる知識を提供する。後世,家訓の祖と仰がれた。日本への伝来も早く,吉備真備の《私教類聚》はその影響のもとに成ったという。【吉川 忠夫】
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世界大百科事典内の顔氏家訓の言及
【家訓】より
…内容は単なる人生訓・処世訓の枠を超え,家礼,土地経営,学問,交際等多岐にわたり,違反者に対する制裁規定を伴うものも少なくない。現存する成文化された家訓では,北斉(6世紀)の顔之推の《顔氏家訓》が最古であり,以後著名なものとしては,唐の柳玭の《柳氏家訓》,宋の趙鼎の《家訓筆録》,元の鄭太和の《鄭氏規範》,明の霍韜(かくとう)(1487‐1540)の《霍渭厓家訓》,龐尚鵬(ほうしようほう)の《龐氏家訓》等がある。これらは各時代において他家の家訓の手本となったり,そのままの形で使用された。…
【私教類聚】より
…吉備真備の著か否か疑う説もあるが,すでに平安後期の《政事要略》に6ヵ条の引用が見える。滝川政次郎は,これと中国北斉の顔之推(がんしすい)の著《顔氏家訓》と比較研究し,同書が《私教類聚》に影響を及ぼしたとし,偽作説を排した。【横田 健一】。…
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